2014年12月27日土曜日

【カフカの箴言49】鰯の頭は信心ではない



【カフカの箴言49】鰯の頭は信心ではない


【原文】

An Fortschritt glauben heisst nicht glauben, dass ein Fortschritt schon gesehen ist. Das wäre kein Glauben.


【和訳】

進歩を信じることは、一つの進歩が既に起こったということを信じることを意味しているのではない。それは、信仰ではないという言って良いだろう。



【解釈と鑑賞】

これも、お題目を唱え、腐った鰯(いわし)の頭を、鰯の頭も信心からといって念仏のように唱えれば何か救済があるかのごとくに錯覚している日本人の、このカフカの箴言に対応する格好の格言があるように、そうして後者は前者とは丁度その意味するところが全く逆であるのだが、しかし、そのような愚かな信というものは、どうも今でも至るところにあり、これが人間の愚かな姿であると、カフカ同様に、わたしにも思われる。





【カフカの箴言48】王様と急使



【カフカの箴言48】王様と急使


【原文】

Es wurde ihnen die Wahl gestellt, Könige oder der Könige Kuriere zu werden. Nach Art der Kinder wollten alle Kuriere sein. Deshalb gibt es lauter Kuriere, sie jagen durch die Welt und rufen, da es keine Könige gibt, einander selbst die sinnlos gewordenen Meldungen zu. Gerne würden sie ihrem elenden Leben ein Ende machen, aber sie wagen es nicht wegen des Diensteides.


【和訳】

彼らには、王様になるか又は王様たちの急使になるかという選択が与えられた。子供達の流儀によって、すべての者たちは、急使になりたいというのである。それ故に、純粋な急使というものが存在し、これら急使は世界を通って狩りをし、そして王様たちなどどこにも存在しないので、互いに自分たち同士で、無意味になった伝達事項(メッセージ)を叫び合うのである。もし出来るならば、喜んで、彼らはその悲惨な生活を喜んで終わりにするだろうが、しかし実際には、奉仕(サービス)の誓約、誓いの故に、それを敢えて行うことはないのだ。


【解釈と鑑賞】

これも、カフカの会社員の生活から生まれた箴言のように思われる。

この箴言は、わたしにカフカの超短編を想起させた。やはり、秦の始皇帝の急使が派遣されて、世界中を走って行く、そのような小説であったと思う。目的地には到達できない急使ではなかったろうか。

最後の一行の奉仕の誓約とは、勿論雇用契約のことである。



【カフカの箴言47】存在することの二つの意味



【カフカの箴言47】存在することの二つの意味


【原文】


Das Wort》sein《 bedeutet im Deutschen beides: Dasein und Ihmgehoeren.


【和訳】

》存在(すること)《という言葉は、ドイツ語では、両方のことを意味する。即ち、現存在(今現にここにこうしてゐるといふこと)と、その現存在に帰属しているということである。 


【解釈と鑑賞】

現存在という言葉の語幹に存在という言葉が入っているので、二つの意味のうち前者については、その通りです。

後者については、ふたつ解釈があり得て、現存在に帰属することと解釈するか、または存在に帰属することと解釈するか、いづれもあり得ます。

しかし、どちらに解釈しても、結局存在に帰属するという意味であることには変わりがありません。


【ショーペンハウアーの箴言49】宗教と国家:松葉杖と憲法


【ショーペンハウアーの箴言49】宗教と国家:松葉杖と憲法




【原文】

Die Religion ist eine Kruecke für schlechte Staatsverfassungen.


【和訳】

宗教は、拙劣なる国家の憲法のための松葉杖である。

【解釈と鑑賞】

これもその通りの譬喩で、ここで言っているのは、近代国家は不完全であること、国家が何もかもすべてを取り仕切ることはできないことを言っています。

その間隙と、その間隙から漏れ落ちるものを掬い取るのが、宗教だということ、そして、それで、まあ近代国家もなんとか松葉杖たる宗教に頼って歩いて行けるということなのです。

その国の民族と国民にとって、宗教は大切です。

ショーペンハウアーの譬喩はいつも透徹しております。その主著『意志と表象としての世界』にあっても、この考え通りに、そもそも国家とは、必要悪なるものとして書かれています。これは、これで、富裕の商人の息子として生まれた此の哲学者の持つ辛辣な眼でありましょう。



【ショーペンハウアーの箴言48】宗教と森の伐採


【ショーペンハウアーの箴言48】宗教と森の伐採




【原文】

In früheren Jahrhunderten war die Religion ein Wald, hinter welchem Heere halten und sich decken konnten. Aber nach so vielen Fällungen ist sie nur noch ein Buschwerk, hinter welchem gelegentlich Gauner sich verstecken.


【和訳】

比較的早期の数百年間は、宗教は一個の森であって、その後ろでは、大勢が駐留し、身を防ぎ、保証を得ることができた。しかし、かくも多くの木々が伐採されると、宗教は、かろうじて一個の藪であり、その後ろには、時には詐欺師が隠れているのである。

【解釈と鑑賞】

このような森と伐採の譬喩は恐らくヨーロッパに、そして多分の森の多いドイツにあっては、一般的に通じる譬喩であるものだと思います。

近代、現代の宗教には詐欺師が隠れているというのは、全くその通りで、それはカルトと呼ばれている通りです。

ショーペンハウアーの譬喩はいつも透徹しております。その主著『意志と表象としての世界』にあっても同様の通りに。


【ショーペンハウアーの箴言47】信仰と知識、狼と羊


【ショーペンハウアーの箴言47】信仰と知識、狼と羊




【原文】

Glauben und Wissen vertragen sich nicht wohl im selben Kopfe: sie sind darin wie Wolf und Schaf in einem Käfig; und zwar ist das Wissen der Wolf, der den Nachbar aufzufressen droht.


【和訳】

信仰と知識は、同じ頭の中にいては(一つ身の中にあっては)互いに堪えられないものだ。即ち、その中では、この二つは、同じひとつの籠の中にいる狼と羊のようなものであり、そして、なるほど知識は狼であって、これはいつも隣人を喰らはむとしているのだ。

【解釈と鑑賞】

この譬喩(ひゆ)も秀逸。確かに、知識、知ることが身を滅ぼすことがある。


2014年12月23日火曜日

Ironieについて

2012年06月23日16:08

Ironieについて

ドイツ語でIronie、イロニー、英語でirony、アイロニーというこの語に、日本語で一語で対応する言葉は、勿論ない。それは、翻訳上の要請によっても、当然そうである。

やはり、カタカナ語でイロニーというようにこの言葉を使うことにしよう。

わたしがトーマスマンから教わった重要なことのひとつが、このイロニーであった。

今手元にあるSachworterbuch der Literatur (Gero von Wilpert編纂)をみると、色々なイロニーの意味について説明がしてあり、最後にトーマスマンのイロニーについて述べていて、それは、

精神が、今ここにこうしているということ(Dasein)の悲劇から距離を置いて自分自身を保持すること

と記述している。

これは、全くその通りだと思う。今ここにこうしていること(Dasein)の悲劇の悲劇とは一体なにかというと、それは人間は、与えられた空間の中と時間の中にいると必ず矛盾の中で生き、矛盾そのものを生きることになることを言っている。

(トーマスマンは、この現実、この事実をTonio Kroegerの中で、Komik und Elend、滑稽と悲惨と呼んでいる。)

何故、わたしがこのことを知っているのかは解らないが、今ここに、この一次元の流れる時間の中にいると、完全な物事の姿が散乱し、丁度鏡が壊れて粉々に砕け散っているように物事が散乱して見えるのだ。

わたしが社会に出て、わたしという人間を理解するときの難しさが、このイロニーだったのだと、今この年齢になって、しみじみと思う。

随分と自分勝手な人間に見えた事であろう。また、今も変わらず、そのような人間に見えることであろう。

この今ここにあること (Dasein)の矛盾を矛盾でなくするために、ひとは命令し服従するということは、生、生きていることの一面であることは間違いがない。そこに道徳も生まれ、倫理も生まれ、社会も生まれ、人間的な感情も生まれる。

しかし、他方、このわたしの無道徳な感覚はどうしようもないものがある。A-moral.

Aなのだ。無関係なのだ。道徳とは無関係。そもそも、関係がないのだ。

(しかし、アモラルな人間とは、一番美味しいものを、一番最後までとっておき、最後に食べる人間でもあるのだ。それが、普通の人間とは違う。流行を追うことがない。不易である。)

20代に読み耽ったHanser版のトーマスマン全集にあったマンの評論あるいはエッセイには、

Geist ist Ironie.

と、そう書いてあったことを思い出す。

これは、

Ironie ist Geist.

とひっくり返すこともできる。

イロニーは、この浮き世に散乱して、互いに無関係に見える物事を結びつけ、接続し、関係を発見する精神の活発な働きである。

この言葉の語源は、同じ辞書によれば、ギリシャ語のeironeiaに由来し、ドイツ語でいうならば、Verstellungという意味である。

このVerstellungという語が、Ironieの一番よい説明であると思う。

Verstellen、フェアシュテレンとは、づらすこと、変形させること、別のものに置き換えること、従い、譬喩(ひゆ)すること、何かに譬えること,tranformすることである。

これが、Ironieであり、Ironieの能力、即ち、精神の働きである。

この精神の力は、わたしには何ものにも換え難い、掛け替えの無い、人間の能力だと思われる。

この能力によって、ひとは、一行の文を、それぞれの個別言語において、発し、歌い、また書くのである。


わたしは、よく何かの折りに、わたしは偽物、偽者ではないかという思いに捕われることがある。

2014年12月7日日曜日

【カフカの箴言46】馬に乗って疾駆する人生からどうやって逸脱するか



【カフカの箴言46】


【原文】


Je mehr Pferde du anspannst, desto rascher gets - nämlich nicht das Ausreissen des Blocks aus dem Fundament, was unmöglich ist, aber das Zerreissen der Riemen und damit die leere fröhliche Fahrt.


【和訳】

お前が馬に馬具を取り付ければ、取り付けるほど、それだけ一層速くなる。つまり、土台から、その足枷を引きちぎることにはならないし、それは不可能なことであるが、しかし、革紐を千切れば、それで、空虚で、愉快な騎行にはなるのだ。


【解釈と鑑賞】

以前の箴言で、カフカが馬に自分を例えるというものがありました。

また、ある短編集で、馬に乗って疾駆するインディアン
を書いた数行の短文があって、そのインディアンの乗る馬の首が、次第に消滅していくというのがありました。首がなくなったときには、インディアンは馬ではない馬に乗っていることになる、ある時制を使った複雑な文章でした。

馬は、カフカに何かを教えた、そのような動物なのでしょう。

と、このように書きましたが、同じ評言をここでも使うことができます。

生きて仕事をすること、あるいは生きることそのものを、このように譬えているのでしょう。

革紐とは、馬の胴体に馬具をくくりつけるための革紐でしょう。
しかし、これをひきちぎったら、馬が走っているわけですから、馬具が飛んで、騎乗者は落っこちてしまうでしょう。

してみると、最後の「空虚で、愉快な騎行」とは、馬からみたこの自走のことを言っているのはないかと思います。

やはり、カフカは、騎乗者ではなく、自己を馬の方に譬えていると考える方がよさそうです。




【ショーペンハウアーの箴言46】信仰と知識と台秤


【ショーペンハウアーの箴言46】




【原文】


Glauben und Wissen verhalten sich wie zwei Schalen einer Waage: in dem Masse, als die eine steigt, sinkt die andere.


【和訳】

信仰と知識とは、一個の秤の両端の皿のような関係にある。即ち、一方の皿が上がると、他方の皿が下がるという割合に応じて。


【解釈と鑑賞】


この譬喩(ひゆ)も秀逸。

2014年11月30日日曜日

伊藤文學さんのパーティー

昨日渋谷の画廊で伊藤文學さんのパーティーが開かれたので、30人の中にお招き戴いて、行ってまいりました。

これは文學さんの先妻の伊藤ミカさんの前衛舞踏家としての当時の資料が見つかったので、それを公開して展示し、お祝いの席としたものです。

0嬢の物語など3つの踊りの作品に宇野亜喜良がポスターを描いている。これらも展示されておりました。

目的は、3つ。

1。宇野亜喜良さんにお目にかかること。
2。1960年代という当時のこのような舞踏を生んだ時代の熱気を直に資料に当たって読み取ること。
3。文學さんに久闊を叙すること。

最初の1は、宇野亜喜良さんの奥さんより電話あり、歯を抜いて、調子よからずとて、出席のなかったのは残念なり。

あとの2つは、十分に堪能しました。

この1960年代は、土方や大野といふ有名な舞踏家たちも活躍した時代。それ以外にも、多くの情報が、東京からわたしの住む北海道の文化果つる地にも届いておりました。

振り返れば、1960年代は、北海道にいたころの、わたしの中学高校生の時代です。

入り口すぐに入った机の上には、やはりと思いましたが、三島由紀夫特集の月刊誌もおかれていて、それはやはり薔薇族とは関係があるよなあと、期待した通りの画廊の用意でありました。

安部公房は、伊藤ミカさんにはご縁がなかったように見えます。

文學さんが伊藤ミカという女性に夜汽車で出会ったというのも、何か当時の様子が偲ばれます。仙台の七夕祭りの満員電車の中でのことだっとのことでした。これは、これで、逸話の連続の文學さんのお話で、誠に興味が尽きない2時間、あっという間に過ぎてしまった。ご興味ある方は、文學さんの『裸の女房』をお買い求めください。


久し振りで飲んだイタリア(と勝手に思っている)の赤は美味かった。

2014年11月29日土曜日

【カフカの箴言45】我なる馬に馬具をつけよ



【カフカの箴言45】


【原文】


Lächerlich hast du dich aufgeschirrt für diese Welt..


【和訳】

哀れなことに、お前はこの世のために、自分自身を馬に譬(たと)へていうならば、馬であるお前に馬具をつけたのだ。


【解釈と鑑賞】


世の中で生きることを、このように言ったカフカの心情は、おかしなものではありません。

まあ、馬に自分を例えるというところが、わたしたち日本人とは一寸感覚が異なります。

DTVの出した短編集で、オフィス(事務所)を主題にした短編小説を集めたものの中に、カフカの短編があり、階上の事務所の窓かヴェランダの窓を開けていて、遠くから馬車の響いてくる音を書いたものがありました。

また、同じ短編集でありましたか、馬に乗って疾駆するインディアンの人形
を書いた数行の短文があって、きっと何かの仕掛けで馬が上下か前後に動くようになってるのでしょう、そのインディアンの乗る馬の首が、次第に消滅していくというのがありました。首がなくなったときには、インディアンは馬ではない馬に乗っていることになる、ある時制を使った複雑な文章でした。

馬は、カフカに何かを教えた、そのような動物なのでしょう。



【ショーペンハウアーの箴言45】信仰と無信仰:愛と国家と政策と


【ショーペンハウアーの箴言45】信仰と無信仰:愛と国家と政策と




【原文】


Der Glaube ist wie die Liebe: er lässt sich nicht erzwingen. Daher ist es ein missliches Unternehmen, ihn durch Staatsmaassregeln einzuführen, oder zu befestigen zu wollen: denn, wie der Versuch, Liebe zu erzwingen, Hass erzeugt; so der, Glauben zu erzwingen, erst rechten Unglauben.


【和訳】


信仰は、愛のようなものである。即ち、それは強制されない。従い、信仰を、国家の政策によって導入しようとし、又は固定して確実なものにしたいというのは、危険な企てである。何故ならば、愛を強制する試みが、憎しみを生み出すように、従い、信仰を強制する試みは、まさしく本物の無信仰を生み出すのであるから。


【解釈と鑑賞】


この哲学者の信仰に関する考えを述べたものです。国家と信仰と言い換えてもよいでしょう。

信仰の元になっているものを、愛と呼んだところに、この辛辣な哲学者が何を普段考えていたか、その当たり前のこころが現れています。

これによっても、あの浩瀚なる主著『意志と表象としての世界』を書いたのです。







2014年11月22日土曜日

【カフカの箴言44】猟犬と獲物



【カフカの箴言44】猟犬と獲物


【原文】


Noch spielen die Jagdhunde im Hof, aber das Wild entgeht ihnen nicht, so sehr es jetzt schon durch die Wälder jagt.


【和訳】

未だに、猟犬は庭で遊んでいるが、しかし、猟獣(獲物)は猟犬から逃げては行かないし、猟獣の方が今ではすでに森という森を走り抜けて狩りをしているほどに、そうなのだ。


【解釈と鑑賞】


これは、現実の何かを分析したカフカが、それを歴史的、伝統的な狩りの世界でのことに変換して書いた一文です。

庭と訳したのは、だれかの山城か、宮殿か、また平地の城館の中庭か前庭であって、そこに猟犬が集められているのでしょう。

そのような現実を思い描いた。

しかし、猟犬の目的である獲物を追うということを、猟犬はしないでいる、遊んでいる。他方、その間に、獲物の方が狩りをしているというのです。


【ショーペンハウアーの箴言44】自分の頭で考える者と、独善の説をなす者と


【ショーペンハウアーの箴言44】




【原文】


Zum Denken sind wenige Menschen geneigt, obwohl alle zum Rechthaber.


【和訳】


考えることに傾く(好きな)人間は少ない。もっとも、すべての人間は、自説が正しいと常に主張する独善に対して傾く(好きな)ものであるが。


【解釈と鑑賞】


自分の頭で思考する人間は、本当に少ないものです。これを毎日励行したら、どれほどの人間になるかと思います。

他方、自説を頑固に主張して譲らない独善家を、自分の頭で考える少ない人間に対して対置させ、前者はみなそうだといい、後者を一掃際立たせています。







2014年11月16日日曜日

【カフカの箴言43】嘔気と憎悪を制禦する



【カフカの箴言43】


【原文】


Den ekel- und hasserfüllten Kopf auf die Brust senken.


【和訳】

吐き気で一杯の、そして憎しみで一杯の頭を、胸に沈めること。


【解釈と鑑賞】


そうすれば、吐き気や憎しみが表には出ず、人にも知られずに、自分の中だけで、何とかできるという意味なのでしょうか。

それとも、実利的に、このような姿勢をとれば、嘔気や憎悪を制禦できるという意味なのでしょうか。


カフカにも、このつらいことがあったということなのでしょう。

【ショーペンハウアーの箴言43】青春と老年:人生の長さと短さ


【ショーペンハウアーの箴言43】




【原文】


Vom Standpunkt der Jugend aus gesehn, ist das Leben eine unendlich lange Zukunft; vom Standpunkt des Alters aus, eine sehr kurze Vergangenheit.



【和訳】


青春の立場から眺めると、人生とは、ひとつの無限に長い未来えある。老年の立場から眺めると、人生は、ひとつの非常に短い過去である。


【解釈と鑑賞】


これも解釈不要の一行です。

この一行を書いたショーペンハウアーの年齢が知りたいものです。

この一行を、ひょっとしたら、ショーペンハウアーのことですから、20代で書いていたのかも知れません。






2014年11月8日土曜日

【カフカの箴言42】数と世界



【カフカの箴言42】数と世界


【原文】


Das Missverhältnis der Welt scheint troestlicherweise nur ein Zahlenmäßiges zu sein.


【和訳】

世界の不都合、不適当、不和であるのは、慰めになることではあるのだが、それが、ただ数に従っているということであると見える。


【解釈と鑑賞】


保険の世界にゐたカフカの言葉らしいと思ひます。また、或いは、もっと本質的に数を考えてゐると考へてもよいと思ひます。


確かに、そうです。文学の世界から眺めれば。

【ショーペンハウアーの箴言42】青春と老年


【ショーペンハウアーの箴言42】青春と老年




【原文】


Der Grundunterschied zwischen Jugend und Alter bleibt immer, dass jene das Leben im Prospekt hat, dieses den Tod.



【和訳】


青春と老年の根本的な相違は、いつも、前者はこれからの展望の中に人生を有し、後者は死の中に人生を有するということである。


【解釈と鑑賞】


これも解釈不要の一行です。

しかし、前者は死を有し、後者はこれからの展望を有すると、このやうに引っくり返へすと、何か一層今日的な感じがします。





2014年11月3日月曜日

【カフカの箴言41】最後の審判と軍法会議



【カフカの箴言41】最後の審判と軍法会議


【原文】


Nur unser Zeitbegriff lässt uns das Jüngste Gericht so nennen, eigentlich ist es ein Standrecht.


【和訳】

ただ我々の時間概念だけが、私たちをして最後の審判と呼ばしめるのであるが、そもそも、それは、軍法会議なのである。


【解釈と鑑賞】

この場合のカフカのいう時間概念とは、一次元の時間のことを言っています。


安部公房と同じように、カフカもキリスト教の週末思想について考えたものと見えます。


軍法会議の形象(イメージ)は、やはり戦場にあって、陣中で、軍規を乱したもの、違反したものを裁くという形象であり、同時にそれは、カフカがこの世の、一次元で流れる時間の中で働いていて、保険会社の有能な会社員として、どのように仕事というものを考えていたのか、それがやはりどれほどに苛烈であったかを示しています。

【ショーペンハウアーの箴言41】不幸と年齢


【ショーペンハウアーの箴言41】不幸と年齢




【原文】


Im Alter versteht man besser, die Unglücksfälle zu verhüten, in der Jugend, sie zu ertragen.



【和訳】


年をとると、不運の出来事を予防し、回避することを、よりよく理解するようになるものだが、これに対して、若いときには、その不運の出来事に堪えることをよりよく理解するものだ。


【解釈と鑑賞】


一寸直訳調で訳しましたが、言いたいことは、よく分かります。

若いときには、堪えることのみ多く、年をとると、堪えるのではなく、つまり正面から当たるのではなく、もう既に予測をして、これを回避することができるようになるという意味です。

確かに、その通りです。



2014年10月26日日曜日

【ショーペンハウアーの箴言40】人間は羊に似ているとは


【ショーペンハウアーの箴言40】人間は羊に似ているとは




【原文】


Wir gleichen den Lämmern, die auf der Wiese spielen, während der Metzger schon eines und das andere von ihnen mit den Augen auswählt.



【和訳】


わたしたちは、草原で遊んでいる羊に似ている。草原で遊んでいる一方で、屠殺人がすでに、そのうちのこれとあれとにしようと眼で選び出してゐるそのやうな羊に似ているのだ。




【解釈と鑑賞】


まあ、ショーペンハウアーらしい残酷な箴言ですが、いつもこの哲学者の譬喩は肯綮に当たっております。

これは、教徒を羊に譬えた、キリスト教に対する辛辣な批判にもなっています。その譬喩を踏まえてのパロディーです。



【カフカの箴言40】カフカの道



【カフカの箴言40】カフカの道


【原文】


Der Weg ist unendlich, da ist nichts abzuziehen, nichts zuzugeben und doch hält jeder noch seine eigene kindliche Elle daran.》Gewiss, auch diese Elle Wegs musst du noch gehen, es wird dir nicht vergessen werden.《


【和訳】

道というものは、果てしのないものである。そこには、何も引き算するべきものはなく、足し算すべきものはないのに、誰もが自分独自の子どもっぽい尺度の距離を以って道にあてがっているのだ。》そう確かに、道のこの尺度の距離を、お前はまだ行かねばならない、このことを、お前が忘れることはないのだ。《


【解釈と鑑賞】


またもや、道です。カフカはこのことについて考えることが非常に多いやうに見受けられます。

この道は、もうここでは、何か現実の道ではなく、もっと抽象的な道になっております。


何か既に子供のころに、カフカが知った道を、自分自身に向かって、これからも尚歩んでいかうといふ、そのやうな言葉に聞こゑます。そして、それを一生忘れることはないのだと言ってゐる。

2014年10月18日土曜日

【カフカの箴言39】悪の分割払い



【カフカの箴言39】悪の分割払い


【原文】


Dem Bösen kann man nicht in Raten zahlen  und versucht es unaufhörlich.
Es wäre  denkbar, dass Alexander der Grosse trotz den kriegerischen Erfolgen seiner Jugend, trotz dem ausgezeichneten Heer, das er ausgebildet hatte, trotz den auf Veränderung der Welt gerichteten Kräften, die er in sich fühlte, am Hellsport stehen geblieben und ihn nie überschritten hätte, und zwar nicht aus Furcht, nicht aus Unentschlossenheit, nicht aus Willensschwäche, sondern aus Erdenschwere.


【和訳】

悪に対しては、分割払いをすることはできない。しかし、人は、絶え間なく、それを試みるようとするものだ。
アレキサンダー大王が、若いときの戦争での成功にもかかわらず、大王の築いた素晴らしい軍隊にもかかわらず、大王が身内に感じた、世界の変化に対応した諸力にもかかわらず、ヘレスポントに立ち往生したとして、そして、大王がこの海峡を決して渡らなかったとして、そして、なるほど、恐怖心からではなく、優柔不断からでもなく、意志薄弱からでもなく、重力から、そうであったならばということは、考えられることかもしれない。

ということなのである。



【解釈と鑑賞】

Hellespontという名前は、今はDardanellesという名前になっているようです。



トルコとヨーロッパへとの間の狭い海峡の名前です。



何故一行目の一文と、次の段落以下の大量の、アレキサンダー大王の仮定文が同じことを言っているとして関係があるかといえば、それは、このようにアレキサンダー大王の事績の逆を仮定のこととして考えることが、そのまま悪に対しての分割払いになる思考だということを、カフカは言っているからなのです。

なるほどと、思います。





【ショーペンハウアーの箴言39】銭のためなら何でも惜しまぬ奴


【ショーペンハウアーの箴言39】銭のためなら何でも惜しまぬ奴




【原文】


Es gibt Leute, die zahlen für Geld jeden Preis.



【和訳】


お金のためならなんでもどんな対価でも払う(なんでも犠牲にする)人々がいるものだ。



【解釈と鑑賞】


註釈不要の箴言です。

普通の文法通りの語順で書くと、

Es gibt Leute, die jeden Preis für Geld zahlen.

となります。

これでは、余りに平凡。

従い、この語順の配列に、ショーペンハウアーの意図と思いが籠められています。

最初のLeuteは無冠詞なので、いつもの通りに、われわれには慣れ親しんだことであるがという心があり、さて、その次に、そのいつもの奴らに掛かる従属文を見てみると、なるほど、そう金を支払うのだということがわかり、金を支払うがそれは何んに対してだということが次に来て、最後にどんな犠牲を払ってでも、どんな対価でも、という、成る程その通りだという理解の順序になるのdす。

これが、この一行で、ショーペンハウアーの言いたかったことです。



2014年10月11日土曜日

【カフカの箴言38】永遠の道、しかし下り坂の



【カフカの箴言38】永遠の道、しかし下り坂の


【原文】


Einer staunte darüber, wie leicht er den Weg der Ewigkeit ging; er raste ihn nämlich abwärts.


【和訳】

どんなに簡単に、自分が永遠の道を行くものかを知って、ある者は驚いた。何故ならば、この者は、つまり、下方に向って、(気が狂い、逆上して)道を怒鳴りつけていたのである。



【解釈と鑑賞】

二行目の文の、

er raste ihn nämlich abwärts.

の、最初の、主語のerと目的語のihnのerが、このある者なのか、それとも道の方なのかによって、二つの解釈があり得ます。

多分、主語は、このある者でありませう。

一行目と未行目の間には、カフカ流の飛躍があります。

この飛躍を理解するには、カフカが道と考えたところを理解しなければならないでしょう。

これから出て来る道に注目したいところです。


【ショーペンハウアーの箴言38】乞食と王様と健康と


【ショーペンハウアーの箴言38】乞食と王様と健康と




【原文】


Die Gesundheit überwiegt alle aeußeren Güter so sehr, dass wahrscheinlich ein gesunder Bettler glücklicher ist als ein kranker Koenig.



【和訳】


健康はすべての外面的な財産を凌駕するものであるので、多分、健康な乞食の方が、病気の王様よりも幸せであるのだ。



【解釈と鑑賞】


註釈不要の箴言です。


2014年10月4日土曜日

【カフカの箴言37】所有と非所有



【カフカの箴言37】所有と非所有


【原文】


Seine Antwort auf die Behauptung, er besitze vielleicht, sei aber nicht, war nur Zittern und Herzklopfen..


【和訳】

彼はひょっとしたら所有しているのかも知れないが、しかし、そうではないかも知れないという主張に対する彼の答えは、ただ体の震えと心臓の切迫だけであった。



【解釈と鑑賞】

最初の彼と二つ目の彼が、同一人と考えることにしましょう。

誰かが、彼についてのことを、このように言ったのでしょう。

そして、その、彼の答えが、身を震わせ、心臓が高鳴ったというのです。

この解釈も多様にあり得ますが、しかし、どの文脈に措いて解釈するかは、読み手次第です。

問題は、この問いと答えが、所有ということを巡って交されているということです。

彼はひょっとしたら所有しているのかも知れないが、しかし、そうではないかも知れないという主張に対する彼の答えは、」というところまでは、夢の世界であり、その後の「ただ体の震えと心臓の切迫だけであった。」というところは、現実であると理解することもできます。

何か、カフカという人間の生理を想像させ、カフカが執筆することの意味を暗示しているように思われます。




【ショーペンハウアーの箴言37】人間の睡眠は時計の螺子巻き


【ショーペンハウアーの箴言37】人間の睡眠は時計の螺子巻き




【原文】


Schlaf ist für den Menschen, was das Aufziehen für die Uhr.



【和訳】


睡眠は、人間にとっては、時計にとって螺子(ねじ)を巻くのと同じである。



【解釈と鑑賞】


註釈不要の箴言です。


【カフカの箴言36】問いと答え



【カフカの箴言36】


【原文】


Früher begriff ich nicht, warum ich auf meine Frage keine Antwort bekam, heut begreife ich nicht, wie ich glauben konnte, fragen zu können. Aber ich glaubte ja gar nicht, ich fragte nur.


【和訳】

以前は、わたしは、何故わたしがわたしの質問に答えを得られないのかを理解しなかったが、今日の今理解していないことは、わたしは、質問することができることをどのように信用することが出来ていたのかということである。しかし、わたしは、そう、全然そうは信じていなかったのであり、わたしは唯質問するのみだったのである。



【解釈と鑑賞】

これもカフカというひとを思わせる箴言です。このような人間であったのでしょう。

質問をするだけであって、どのように質問できるかというその好意そのものについては、信用するものではなかったというカフカ。

自分の頭で考えて生きようとしたカフカの姿が彷彿とします。どのような日常の細部においても、そのように。



【ショーペンハウアーの箴言36】天才と天体望遠鏡


【ショーペンハウアーの箴言36】




【原文】


Für das praktische Leben ist das Genie so brauchbar wie ein Stern-Teleskop im Theater.



【和訳】


実際的な人生のためには、天才という者は、劇場で使う、天体望遠鏡と同じ位に必要なものである。



【解釈と鑑賞】


これも、ショーペンハウアーらしい箴言です。

天才の、世間での必要性を、天体望遠鏡に譬えている。本来は星辰を観るための道具ですが、世間の人間達は、劇場での演劇を眺めるために使っているというのです。

それ位の実用性という言い方の、それ位という言葉に、どれほどの意味を見つけようとするかで、この箴言が辛辣になるかどうかの分かれ目、瀬戸際でしょう。

劇場で天体望遠鏡を使うということは、天才の本来の能力の意味には、世間は無知であるという含意があります。

また、演劇の舞台を劇場で眺めるというこの譬喩(ひゆ)もまた、ショーペンハウアーらしい譬喩です。勿論、この譬喩は、この哲学者の独創ではありませんが、誠に相応しい譬喩だと思います。

2014年9月23日火曜日

【カフカの箴言35】所有と存在



【カフカの箴言35】


【原文】


Es gibt kein Haben, nur ein Sein, nur ein nach letztem Atem, nach Ersticken verlanendes Sein.


【和訳】

所有ということなど存在しないのだ、ただ一個の存在があるだけだ、ただひとつの、最後の呼気を求めて、窒息を求めて欲求している存在があるだけなのだ。



【解釈と鑑賞】


人間を存在と呼んだことで、余計な解釈抜きの、箴言になっています。

所有でなければ、非所有であり、存在は所有することの叶わぬものです。カフカは、人間をそのようなものと言っている。

それも、時間の中では、行き着く所は、最後の息、即ち窒息であるというのです。


この窒息という語の選択には、読者には、何かしら惨(むご)いものがあります。

【ショーペンハウアーの箴言35】人生という旅の路銀は


【ショーペンハウアーの箴言35】




【原文】


Ein guter Vorrat an Resignation ist überaus wichtig als Wegzehrung für die Lebensreise.



【和訳】


諦念を良く貯蔵して、蓄えておくことは、人生の旅のための路銀として、非常に重要である。



【解釈と鑑賞】


これも、貯蔵も路銀と訳したドイツ語も、ドイツ語としては、互いに縁語です。日本語では表に出て参りませんが。







2014年9月20日土曜日

【カフカの箴言34】カフカと漆喰



【カフカの箴言34】


【原文】


Sein Ermatten ist das des Gladiators nach dem Kampf, seine Arbeit war das Weißtünchen eines Winkels in einer Beamtenstube.


【和訳】

彼の疲弊は、闘いの後の(ローマ時代のあの円形劇場で戦った)戦士の疲弊であり、その仕事(労苦)は、役人の部屋の中にある一角の(石灰などで塗った白い)一寸した漆喰だったのだ。


【解釈と鑑賞】


何か、カフカが昼間の生業で仕事に疲れ果てたときに書いた箴言のように読めます。

二つ目の文からは、一生懸命問題の解決に努力したが、結局それは、全体のよく見えない、部屋の角の漆喰の、綻(ほころ)びを糊塗して一寸ひとのめにはわからなければよいという程度の修繕の、それも役人の部屋のそれだと言うのです。

カフカが保険の手続きのために、プラハの役所に行くと、役人の坐っている部屋(個室)には、よくそんな漆喰塗りの跡があったものでしょう。

この二行目には、自分もそのような役人になってしまっているのかという感懐、静かな嘆きと、また自分はそんな漆喰のような存在であるのか、一時凌ぎの解決のための、という、これもまた静かな嘆きの声でありましょう。




【ショーペンハウアーの箴言34】歴史とは何か?


【ショーペンハウアーの箴言34】




【原文】


Die Geschichte ist die Fortsetzung der Zoologie.



【和訳】


歴史とは、動物学の進歩のことなのだ。



【解釈と鑑賞】

これもまあ、辛辣なショーペンハウアーの箴言です。辛辣なので、辛言と書きたい位です。


ドイツ語では、ここでZoologieという外来語を使っていますが、Tierkundeと、本来のドイツ語、日本語でいうならば大和ことばでいうと、一層よく意味がわかります。

即ち、ショーペンハウアーは、人間を動物と考えていて、場合によっては、動物園に棲んでいるとすら(そうはいっておりませんが)いい得ることでしょう。

しかし、動物学と言ったところ、即ち学としての進歩だといったところに、ショーペンハウアーの面目躍如たるものがあります。

即ち、動物学は進歩しますが、人間は進歩するかどうかは何も言っていないのであり、あるいはむしろ全く進歩のない動物だとさへ、言っているのかも知れません。