2016年11月27日日曜日

超短編4:卵の夢


卵の夢

・・・卵は夢を見た・・・

自分が箱になつてゐる夢である、いつの間にか空虚の箱なのである
卵に戻らなければならない・・・

しかし、どうやつて?さうだ、私は卵であつて、箱ではない、私は球体であつて、立方体では無い、さう思つて短編『卵』を読むと、私は殻を割られて生卵と呼ばれる何とまあ美しき黄身と白身を人間と呼ばれる五人の乱暴な競艇部の学生の腹の中へと毎朝一気に飲込まれるのだとは、何といふ事だ、哀れな私よ、いや待てよ、しかし私は一つの卵だと思つてゐたが、一つの卵として飲まれ五個の卵になつて翌朝所定の場所にゐるやうな、そんな何かが私といふ卵なのであらうか?私は特別な、変な卵なのだらうか?私の同類たちは、一人の人間には一度きに一つしか食されないのに、私だけが一度きに五人の人間に食されるのであらうか?それとも五個の卵が実はみな一体となつた一個の私なのであらうか?私とは一体何だ?卵とは何か?を考へたことが今まで一度もなかったなあ、卵とは何か?しかし、人間が毎朝私を卵と呼んで食するのであつて、考へてみれば、私は自分で自分自身の事を卵と呼んだことは一度もないぞ、変な話だ、として見れば、変なのは私ではなく、私を卵と呼ぶ人間の方ではないか!、として見れば、私は卵ではなく、大いに箱なのである、と思へば箱なのである、しかし箱とは何だ?さう、さうか!私はあの学生達の命を自らが食される事で救つてゐる箱舟なのだ、あいつらは箱舟たる私を毎朝飲み込んで精をつけてゐる競艇部
員なのだ、成る程私は救世主である、ならば、ああ、私は神だ!、神が卵ならば、卵が自らの身を滅ぼして箱舟になつたのだ、だから宇宙の最初に私は空虚の箱であつたといふ記憶が、夢であるこれなのだな、ああ、私は飲込まれる度に箱である宇宙を創つたのか!ああ、あの漂流する空虚!空虚に浮かぶ黄身と白身の美しさが懐かしい!といふ卵の夢を、箱が見た・・・

自分が卵になつてゐる夢である、いつの間にか卵なのである

箱に戻らなければならない・・・

と卵は思つた・・・

(845文字) 

2016年11月24日木曜日

村上春樹と換喩:エルサレム賞受賞スピーチを修辞学の視点から眺めると

村上春樹と換喩:エルサレム賞受賞スピーチを修辞学の視点から眺めると

2009年1月21日以前には、村上春樹は換喩と隠喩の違ひを正しく理解してをりません。

それでは、この日以降についてはどうでせうか?

「2009年1月21日、イスラエルの「ハアレツ」紙が村上のエルサレム賞受賞を発表」といふことですが(https://ja.wikipedia.org/wiki/村上春樹)、村上春樹の此の受賞スピーチを読みますと、この時までは、村上春樹は換喩と隠喩の識別区別がつかなかつたといふ事が判ります。以下の当該箇所を引用します。

が、ここで、一つ非常に個人的なメッセージを述べさせて下さい。それは、私がフィ クションを書くときに常に心がけていることです。(座右の銘として)紙に書いて壁 に貼っておくという程度ではなく、私の魂の壁に刻み付けてあるものなのです。それ は、こういうことです。 

もし、硬くて高い壁と、そこに叩きつけられている卵があったなら、私は常に卵の側 に立つ。 そう、いかに壁が正しく卵が間違っていたとしても、私は卵の側に立ちます。何が正 しくて何が間違っているのか、それは他の誰かが決めなければならないことかもしれ ないし、恐らくは時間とか歴史といったものが決めるものでしょう。しかし、いかな る理由であれ、壁の側に立つような作家の作品にどのような価値があるのでしょう か。 

このメタファーの意味は何か?時には非常にシンプルで明瞭です。爆撃機や戦車やロケット、白リン弾が高くて硬い壁です。それらに蹂躙され、焼かれ、撃たれる非武装 の市民が卵です。これがこのメタファーの一つの意味です。

この譬喩は、隠喩を正確に多用した三島由紀夫の世界からみれば、修辞学的にはメタファ(隠喩)では全然なく、1:1の関係で言葉を用ゐてゐるのである以上、これは明らかに換喩です。

即ち、村上春樹は、この2009年1月21日の時点までは、換喩を隠喩(メタファー)の識別区別ができずに、この二つの譬喩(ひゆ)の関係を誤解をしてゐた。

とすると、この年の後に書いた小説に注目すると、それ以降には、次のやうな作品があります。上記Wikipediaより引用します。

長編小説

中編小説


短編小説

随筆

紀行文・ノンフィクション

対談集・インタビュー

雑誌・書籍等掲載

インターネット関連


しかしながら、2013年発表の『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』の最後の章を読みますと、この修辞学上の、また話法上の試みは、作家本人の否定する「説明文」になつてゐて(『職業としての小説家』新潮社文庫版、2015年刊、同書135ページ)、『職業としての小説家』で述べてゐるやうな「メタフォリカル」な隠喩の文章になつてをりません。


しかし此の『職業としての小説家』で述べてゐるやうに、多崎つくるの物語が「水面下ではいろんなものごとが複合的に、またメタフォリカルに進行している小説だと僕自身は考えてい」(同書、259ページ)るといふのであれば、上記に引用した作品に於いても、未だ隠喩のことは成就せずにゐるのです。

従ひ、アンデルセン文学賞受賞スピーチの言葉を信じて、自作を待つ以外にはないといふのが、わたしの今の意見です。但し、わたしの期待が裏切られないのは、村上春樹がメタファー(隠喩)が掛け算であつて、超越論的な無時間の空間を創造できる譬喩(ひゆ)であるといふ認識を持ち、これを理解できてゐる場合に限ります。

2016年11月19日土曜日

新作落語『ハルキ・ムラカミをめぐる冒険』

新作落語『ハルキ・ムラカミをめぐる冒険』

村上春樹の『スプートニクの恋人』の冒頭の二行を読んで、こんな小説はやつてられないと思ひ、直ぐに本を伏せて読みさしてから、半日経つてもう一度本を恐る恐る取り上げて、こんな始まりだから、また最後はどうせ恋した男女が別れる話だらうと思つて、さうつと最後のページを開くと、やつぱりさうだつたので、おい村上春樹よ、この最初のページと最後のページの間の数百ページを読んで時間の無駄だった場合の代金はどうしてくれると思ひましたが、しかしそんなことは言えないことに気づきました。何故なら、この本はアマゾンで中古書1円で購入したからです。

この経験から生まれたのが、この新作落語です。

題して新作落語『ハルキ・ムラカミをめぐる冒険』。

噺家は、この噺には英語も混じることから、やはり桂枝雀がよい。霊界からよび出して、高座で一席、語ってもらふ。

登場人物:
(1)ハルキ・ムラカミ(”HM”)
(2)横丁のご隠居(”ご隠居”)
(3)熊さん(”熊”)
(4)八っつぁん(”八”)
(5)ハルキ・ムラカミの父親(既に鬼籍に入り、枝雀と同じ霊界に住んでゐる)

これは、村上春樹が超一流の営業マンになつて、立身出世をする噺です。

営業マンには2つのタイプがゐて、一つは客が決してNOといへない話題から入る営業マン。否(いや)でも応でもお客さんが自分と共有せざるを得ない話題から入る営業マンです。

典型的な話題が、今日はいい天気ですねえなどといつて、天気良し悪しの話からセールストークを始めて商品の提案をする型です。もう一つは、全く予想外の大きな落差を現実との間に設けて、相手を一気に自分の世界に「有無を言はさず」「四の五の言はせずに」引きずり込む営業マン。村上春樹は後者、即ち、超越論型の営業マンです。前者はさうではない日常の時間の中で営業をする営業マンです。

10人のうち9人は前者です。残りの一人が、超一流の営業マン、即ち村上春樹です。何しろ、『スプートニクの恋人』の冒頭は、次の二行で始まるのですから。

「22歳の春にすみれは生まれて初めて恋に落ちた。広大な平原をまっすぐ突き進む竜巻のような激しい恋だった。」

普通の営業マンならば、お客さんと会つたら、次のやうにセールストークを始めるでせう。

「やつと春になつて、何度も今日は春一番が吹いたとふ、いよいよ春で、いい陽気ですねえ。猫も盛りがついて夜も五月蝿(うるさ)いんですよ。」

熊:ちわー、ご隠居、ゐます?一寸ご相談が。
ご隠居:何だい、騒々しい。また何か事だい?
八:いや、ね、ご隠居、長屋のあそこに引っ越して来たハルキ・ムラカミつてえ、日本人みたいなアメリカ人のこと何ですけどね。。。
ご隠居:ああ、あれは、アメリカ人見たいな日本人だ。あれは、正真正銘の日本人だよ。
八:へえ、左様で。
ご隠居:で、そのムラカミのハルちゃんが、どうしかしたのかい?
熊:いや、それが引っ越して来たつきり、近所の挨拶廻りもしないし、何も音沙汰ないまま、引き籠つちまいやがつて、全然お天道様の当たる生活をしてゐやがらねえんですが、ありや、どういふ野郎です?
ご隠居:ああ、あいつは、何でも小説書きでな。村上春樹といふペンネームで、何でも或る雑誌で新人賞を受賞したとかいふ、何とかの歌を聴けとふ小説であつたな。。。
八:浪花節を聴けとか、浪曲の歌を聴けとか、そんなんですかい?
ご隠居:いや、さうではなくて、もつとな、かう、ハイカラな奴だな、さうさう、「風の歌を聴け」といつたかな?
熊:「風の歌を聴け」ええ?!、それあ無いねえ、あいつは風の歌を聴くよりも、娑婆の風に当たつて、おいらの唸(うな)る浪花節を聴いた方がよくはござんせんか?
ご隠居:おお、よく言つたな、熊さん。さう、あいつは社会性ゼロ、社交性ゼロの人間でな、もう全く役に立たない男でな、もうどうしやうも無い奴だが、まあ、しかし、わしの知り合ひ筋の、どうしてもといふ、たつてのお願ひだといふのでな、日本に帰つて来ても住むところがないといふので、親父さんから頼まれてな、まあ、これも仕様が無い、引きうけて、あそこへ住まはせたつて事なんだよ。
八:へえ、さうですかい。あの調子じや、ハルキ・ムラカミといふよりも、ハルカカラミム(遥かから見む)つてえ名前に改名した方が、よござんすね。
ご隠居:いや、ところがだな、さういふ奴に限ってまた、これが超一流の営業マンになるのだといふ社長がゐてな、これからそのハルカカラミムに営業職の仕事を紹介して、今日の面接に行かせようと思つてゐたところなんぢや。熊さん、お前さん、八公と一緒に、住所を教へるから、その会社の面接に連れてつて遅れ。どうせ、あの調子じや、イヤダイヤダと言つて駄々をこねるだらうから、道路を引きずつてでもいいから、連れてつておくれ。

(続く)