2014年10月26日日曜日

【ショーペンハウアーの箴言40】人間は羊に似ているとは


【ショーペンハウアーの箴言40】人間は羊に似ているとは




【原文】


Wir gleichen den Lämmern, die auf der Wiese spielen, während der Metzger schon eines und das andere von ihnen mit den Augen auswählt.



【和訳】


わたしたちは、草原で遊んでいる羊に似ている。草原で遊んでいる一方で、屠殺人がすでに、そのうちのこれとあれとにしようと眼で選び出してゐるそのやうな羊に似ているのだ。




【解釈と鑑賞】


まあ、ショーペンハウアーらしい残酷な箴言ですが、いつもこの哲学者の譬喩は肯綮に当たっております。

これは、教徒を羊に譬えた、キリスト教に対する辛辣な批判にもなっています。その譬喩を踏まえてのパロディーです。



【カフカの箴言40】カフカの道



【カフカの箴言40】カフカの道


【原文】


Der Weg ist unendlich, da ist nichts abzuziehen, nichts zuzugeben und doch hält jeder noch seine eigene kindliche Elle daran.》Gewiss, auch diese Elle Wegs musst du noch gehen, es wird dir nicht vergessen werden.《


【和訳】

道というものは、果てしのないものである。そこには、何も引き算するべきものはなく、足し算すべきものはないのに、誰もが自分独自の子どもっぽい尺度の距離を以って道にあてがっているのだ。》そう確かに、道のこの尺度の距離を、お前はまだ行かねばならない、このことを、お前が忘れることはないのだ。《


【解釈と鑑賞】


またもや、道です。カフカはこのことについて考えることが非常に多いやうに見受けられます。

この道は、もうここでは、何か現実の道ではなく、もっと抽象的な道になっております。


何か既に子供のころに、カフカが知った道を、自分自身に向かって、これからも尚歩んでいかうといふ、そのやうな言葉に聞こゑます。そして、それを一生忘れることはないのだと言ってゐる。

2014年10月18日土曜日

【カフカの箴言39】悪の分割払い



【カフカの箴言39】悪の分割払い


【原文】


Dem Bösen kann man nicht in Raten zahlen  und versucht es unaufhörlich.
Es wäre  denkbar, dass Alexander der Grosse trotz den kriegerischen Erfolgen seiner Jugend, trotz dem ausgezeichneten Heer, das er ausgebildet hatte, trotz den auf Veränderung der Welt gerichteten Kräften, die er in sich fühlte, am Hellsport stehen geblieben und ihn nie überschritten hätte, und zwar nicht aus Furcht, nicht aus Unentschlossenheit, nicht aus Willensschwäche, sondern aus Erdenschwere.


【和訳】

悪に対しては、分割払いをすることはできない。しかし、人は、絶え間なく、それを試みるようとするものだ。
アレキサンダー大王が、若いときの戦争での成功にもかかわらず、大王の築いた素晴らしい軍隊にもかかわらず、大王が身内に感じた、世界の変化に対応した諸力にもかかわらず、ヘレスポントに立ち往生したとして、そして、大王がこの海峡を決して渡らなかったとして、そして、なるほど、恐怖心からではなく、優柔不断からでもなく、意志薄弱からでもなく、重力から、そうであったならばということは、考えられることかもしれない。

ということなのである。



【解釈と鑑賞】

Hellespontという名前は、今はDardanellesという名前になっているようです。



トルコとヨーロッパへとの間の狭い海峡の名前です。



何故一行目の一文と、次の段落以下の大量の、アレキサンダー大王の仮定文が同じことを言っているとして関係があるかといえば、それは、このようにアレキサンダー大王の事績の逆を仮定のこととして考えることが、そのまま悪に対しての分割払いになる思考だということを、カフカは言っているからなのです。

なるほどと、思います。





【ショーペンハウアーの箴言39】銭のためなら何でも惜しまぬ奴


【ショーペンハウアーの箴言39】銭のためなら何でも惜しまぬ奴




【原文】


Es gibt Leute, die zahlen für Geld jeden Preis.



【和訳】


お金のためならなんでもどんな対価でも払う(なんでも犠牲にする)人々がいるものだ。



【解釈と鑑賞】


註釈不要の箴言です。

普通の文法通りの語順で書くと、

Es gibt Leute, die jeden Preis für Geld zahlen.

となります。

これでは、余りに平凡。

従い、この語順の配列に、ショーペンハウアーの意図と思いが籠められています。

最初のLeuteは無冠詞なので、いつもの通りに、われわれには慣れ親しんだことであるがという心があり、さて、その次に、そのいつもの奴らに掛かる従属文を見てみると、なるほど、そう金を支払うのだということがわかり、金を支払うがそれは何んに対してだということが次に来て、最後にどんな犠牲を払ってでも、どんな対価でも、という、成る程その通りだという理解の順序になるのdす。

これが、この一行で、ショーペンハウアーの言いたかったことです。



2014年10月11日土曜日

【カフカの箴言38】永遠の道、しかし下り坂の



【カフカの箴言38】永遠の道、しかし下り坂の


【原文】


Einer staunte darüber, wie leicht er den Weg der Ewigkeit ging; er raste ihn nämlich abwärts.


【和訳】

どんなに簡単に、自分が永遠の道を行くものかを知って、ある者は驚いた。何故ならば、この者は、つまり、下方に向って、(気が狂い、逆上して)道を怒鳴りつけていたのである。



【解釈と鑑賞】

二行目の文の、

er raste ihn nämlich abwärts.

の、最初の、主語のerと目的語のihnのerが、このある者なのか、それとも道の方なのかによって、二つの解釈があり得ます。

多分、主語は、このある者でありませう。

一行目と未行目の間には、カフカ流の飛躍があります。

この飛躍を理解するには、カフカが道と考えたところを理解しなければならないでしょう。

これから出て来る道に注目したいところです。


【ショーペンハウアーの箴言38】乞食と王様と健康と


【ショーペンハウアーの箴言38】乞食と王様と健康と




【原文】


Die Gesundheit überwiegt alle aeußeren Güter so sehr, dass wahrscheinlich ein gesunder Bettler glücklicher ist als ein kranker Koenig.



【和訳】


健康はすべての外面的な財産を凌駕するものであるので、多分、健康な乞食の方が、病気の王様よりも幸せであるのだ。



【解釈と鑑賞】


註釈不要の箴言です。


2014年10月4日土曜日

【カフカの箴言37】所有と非所有



【カフカの箴言37】所有と非所有


【原文】


Seine Antwort auf die Behauptung, er besitze vielleicht, sei aber nicht, war nur Zittern und Herzklopfen..


【和訳】

彼はひょっとしたら所有しているのかも知れないが、しかし、そうではないかも知れないという主張に対する彼の答えは、ただ体の震えと心臓の切迫だけであった。



【解釈と鑑賞】

最初の彼と二つ目の彼が、同一人と考えることにしましょう。

誰かが、彼についてのことを、このように言ったのでしょう。

そして、その、彼の答えが、身を震わせ、心臓が高鳴ったというのです。

この解釈も多様にあり得ますが、しかし、どの文脈に措いて解釈するかは、読み手次第です。

問題は、この問いと答えが、所有ということを巡って交されているということです。

彼はひょっとしたら所有しているのかも知れないが、しかし、そうではないかも知れないという主張に対する彼の答えは、」というところまでは、夢の世界であり、その後の「ただ体の震えと心臓の切迫だけであった。」というところは、現実であると理解することもできます。

何か、カフカという人間の生理を想像させ、カフカが執筆することの意味を暗示しているように思われます。




【ショーペンハウアーの箴言37】人間の睡眠は時計の螺子巻き


【ショーペンハウアーの箴言37】人間の睡眠は時計の螺子巻き




【原文】


Schlaf ist für den Menschen, was das Aufziehen für die Uhr.



【和訳】


睡眠は、人間にとっては、時計にとって螺子(ねじ)を巻くのと同じである。



【解釈と鑑賞】


註釈不要の箴言です。


【カフカの箴言36】問いと答え



【カフカの箴言36】


【原文】


Früher begriff ich nicht, warum ich auf meine Frage keine Antwort bekam, heut begreife ich nicht, wie ich glauben konnte, fragen zu können. Aber ich glaubte ja gar nicht, ich fragte nur.


【和訳】

以前は、わたしは、何故わたしがわたしの質問に答えを得られないのかを理解しなかったが、今日の今理解していないことは、わたしは、質問することができることをどのように信用することが出来ていたのかということである。しかし、わたしは、そう、全然そうは信じていなかったのであり、わたしは唯質問するのみだったのである。



【解釈と鑑賞】

これもカフカというひとを思わせる箴言です。このような人間であったのでしょう。

質問をするだけであって、どのように質問できるかというその好意そのものについては、信用するものではなかったというカフカ。

自分の頭で考えて生きようとしたカフカの姿が彷彿とします。どのような日常の細部においても、そのように。



【ショーペンハウアーの箴言36】天才と天体望遠鏡


【ショーペンハウアーの箴言36】




【原文】


Für das praktische Leben ist das Genie so brauchbar wie ein Stern-Teleskop im Theater.



【和訳】


実際的な人生のためには、天才という者は、劇場で使う、天体望遠鏡と同じ位に必要なものである。



【解釈と鑑賞】


これも、ショーペンハウアーらしい箴言です。

天才の、世間での必要性を、天体望遠鏡に譬えている。本来は星辰を観るための道具ですが、世間の人間達は、劇場での演劇を眺めるために使っているというのです。

それ位の実用性という言い方の、それ位という言葉に、どれほどの意味を見つけようとするかで、この箴言が辛辣になるかどうかの分かれ目、瀬戸際でしょう。

劇場で天体望遠鏡を使うということは、天才の本来の能力の意味には、世間は無知であるという含意があります。

また、演劇の舞台を劇場で眺めるというこの譬喩(ひゆ)もまた、ショーペンハウアーらしい譬喩です。勿論、この譬喩は、この哲学者の独創ではありませんが、誠に相応しい譬喩だと思います。