2015年7月26日日曜日

【ショーペンハウアーの箴言83】精神がもぬけの殻である人間は、


【ショーペンハウアーの箴言83】


【原文】

Alle Formen nimmt die Geistlosigkeit an, um sich dahinter zu verstecken: sie verhüllt sich in Schwulst, in Bombast, in den Ton der Überlegenheit und Vornehmigkeit und in hundert anderen Formen.


【和訳】

精神がもぬけの殻であれば、その形式の後ろに自己を隠さうとして、ありとあらゆる形式をとるのだ。即ち、精神のもぬけの殻は、誇張や大言壮語や優越と高貴の調子やその他の幾百もの形式の中に自己を隠すものである。


【解釈と鑑賞】

これも前の二つからの続きで、悟性の話から、今度は理性の上にある精神の話といふわけです。

まあ、これも、辛辣なるショーペンハウアーの洞察といふべきでありませう。







【ショーペンハウアーの箴言82】理解能力と理解能力の喪失の因果関係


【ショーペンハウアーの箴言82】


【原文】

Viele verlieren den Verstand deshalb nicht, weil sie keinen haben.


【和訳】

多くの人間は、理解(悟性)を失ふが、その理由は、理解(悟性)を持つてゐないからなのではないからである。


【解釈と鑑賞】

これも理解続き、悟性続きの箴言です。


多くの人間は、理解(悟性)を失ふが、その理由は、理解(悟性)を持つてゐるからなのである。

と論理を単純化させてみたくなる一行です。

また、おめえら最初から悟性なんぞはお持ちではないのでござんしょ、と訳してみたくもなります。

その否定をあへて二重否定にしたところに、妙味あり。

妙味を逆説、Ironieといつてもよいでせう。







【ショーペンハウアーの箴言81】悟性と教養


【ショーペンハウアーの箴言81】


【原文】

Natürlicher Verstand kann fast jeden Grad von Bildung ersetzen, aber keine Bildung den natürlichen Verstand.


【和訳】

自然に生まれる理解(悟性)は、ほとんど教養のどの階梯にも置き換えられるものだが、しかし、教養は、自然から生まれる理解(悟性)に置き換えることはできない。


【解釈と鑑賞】

さう、教養を得るには、自然に理解している範囲を踏み越える必要がありませう。

哲学用語を敢へて使へば、理性を用ゐ、精神を活発にして、自分の頭でものを考へ、独自の道を行く以外にはありません。

これもまた、日本人の自称哲学者、自称知識人、自称文化人には、耳の痛い言葉でありませう。






【ショーペンハウアーの箴言80】華美な言い廻しと小さな思想


【ショーペンハウアーの箴言80】


【原文】

Schwierige und pomphafte Phrasen verhüllen winzige, nüchterne oder alltägliche Gedanken.


【和訳】

難しい、そして華美な語句や言い廻しは、小さくて、冷静で、或いはまた日常的な思考思想を覆い隠す。


【解釈と鑑賞】

前者、即ち「難しい、そして華美な語句や言い廻し」と、後者、即ち「小さくて、冷静で、或いはまた日常的な思考思想」の関係を述べたもの。

日本人の自称哲学者、自称知識人、自称文化人には、耳の痛い言葉でありませう。






2015年7月5日日曜日

【カフカの箴言79】官能の愛と天上の愛



【カフカの箴言79】


【原文】

Die sinnliche Leibe täuscht über die himmlischen Liebe hinweg; allein könnte sie es nicht, aber  da sie das Element der himmlischen Liebe unbewußt in sich hat, kann sie es.


【和訳】

官能的な愛は、天上的な愛を超えて、その向かうに行けるものと言つて欺くのだ。しかし、官能的な愛は、それができないことがあらう。しかし、天上的な愛の要素を其の内に無意識に持つてゐるので、それができるのである。


【解釈と鑑賞】


この考への鍵は、二つめの文の無意識と、天上的な愛の要素を其の身内に最初からもつてゐるといふことでありませう。


【ショーペンハウアーの箴言79】傷つけぬ権利


【ショーペンハウアーの箴言79】


【原文】

Jeder hat das Recht, alles zu tun, wodurch er keinen verletzt.


【和訳】

誰もが、それをすることによつて誰をも傷つけないもの全てを行ふ権利を有する。


【解釈と鑑賞】

このやうなことをしも権利といふらむ。

権利には権利で対抗しなければならないのが、法律の世界といふことなのでありませう。

私は、やはり、南海の海辺で無心に遊ぶ土人の子供でありたい。