2015年2月25日水曜日

【カフカの箴言58】言語の働き、感覚世界、所有関係について

【カフカの箴言58】言語の働き、感覚世界、所有関係について


【原文】

Die Sprache kann für alles außerhalb der sinnlichen Welt nur andeutungsweise, aber niemals auch nur annähernd vergleichsweise gebraucht werden, da sie, entsprechend der sinnlichen Welt, nur vom Besitz und seinen Beziehungen handelt.


【和訳】

言語は、感覚の世界の外部にあるすべてのものにとって(対して)、ただ暗示する仕方で使用することができるが、しかし決してまた大体のところで、比較するという仕方ですら使用することができないのだ。というのも、言語は、感覚の世界に対応して、ただ所有と所有の色々な関係を取り扱うものだからだ。


【解釈と鑑賞】

これは、カフカの言語を巡る考察です。

言語は、感覚的な世界の外部では、暗示的にすべてのものを表現する。しかし、他方そうでありながら、それではそれは何か、それはどうかといえば、比較をして、比喩としてでも何かを表すことができるのかといへば、それはそうですらないのだというのです。

その理由は、感覚の世界に言語は対応していて、その対応とは、所有と所有関係を専らとして表すからだというのです。

この最後の所有と所有関係を言語は扱ふというところが、カフカの言語論の味噌でありませう。

つまり、カフカの言語論は、言語(感覚(外部、内部)(所有、所有関係)、(暗示、直喩))という関係を論じていることがわかります。

普通には、感覚の内部と外部と言語の関係を論ずれば、それは論理の問題が表に現れる筈ですが、単純に論理、或いは言語の持つ論理とはいはずに、所有と所有関係だというところが、カフカといふひとの洞察の深いところだと思います。

この世での論理とは、ほとんどすべて所有と所有関係に帰するからです。

このことは、大学で法学を勉強したことに関係があることでせう。

【ショーペンハウアーの箴言58】天に青い一画のまだある限りは


【ショーペンハウアーの箴言58】


【原文】

Man darf am Wetter nie verzweifeln, solange noch ein blauer Fleck am Himmel steht.


【和訳】

青い一画まだが天にある限りは、天候に決して絶望してはならない。

【解釈と鑑賞】

天に青い一角のある限りといふ天は、ドイツ語でHimmelですが、この天は当然のことながら空といふ意味ではありませうが、やはり何か神聖なる存在たる上空の天といふ感じが致します。

その存在が見えるならば、そしてその色が青く、晴れた空がその向かうにあると知ることができるならば、天候が悪くでも絶望してはいけないということなのでせう。

決してと訳したドイツ語のnieは、本当に強い否定だといふ感じがゐたします。

2015年2月19日木曜日

【カフカの箴言57ー2】虚実の皮膜を嗅ぎ分ける



【カフカの箴言57ー2】虚実の皮膜を嗅ぎ分ける


【原文】

Es gibt Fragen, über die wir nicht hinwegkommen könnten, wenn wir nicht von Natur aus von ihnen befreit wären.


【和訳】

それらの問いから本来自由ではないならば、わたしたちが超えることのできないかも知れない問いといふものがあるものだ。


【解釈と鑑賞】

この一行も、真虚、虚実、問いと答え、真理の所在を巡る、カフカの一行です。

虚実の皮膜を嗅ぎ分ける臭覚の持ち主ということになります。

【ショーペンハウアーの箴言57】学生は何のために勉強しているのか?


【ショーペンハウアーの箴言57】


【原文】

Die meisten Studenten lernen nicht, um Einsicht zu erlangen, sondern um schwätzen zu können.


【和訳】

大多数の学生たちは、洞察に獲得するために学ぶのではなく、お喋りすることができるために学ぶのである。


【解釈と鑑賞】

これも耳の痛い言葉です。

学生たちという言葉を、人間と置き換えたり、若者たちはと置き換えてもよく、また日本のインテリどもはといってもよいでしょう。

或いは、 TVの暇なコメンテーター、アナウンサー、その他諸々の置き換えが可能です。

2015年2月7日土曜日

【カフカの箴言57】全ては嘘

【カフカの箴言57】全ては嘘

【原文】

Alles ist Betrug: das Mindestmass der Täuschungen suchen, im üblichen bleiben, das Höchstmaß suchen. Im ersten Fall betrügt man das Gute, indem man sich dessen Erwerbung zu leicht machen will, das Böse, indem man ihm allzu ungünstige Kampfbedingungen setzt. Im zweiten Fall betrügt man das Gute, indem man also nicht einmal im Irdischen nach ihm strebt. Im dritten Fall betrügt man das Gute, indem man sich möglichst weit von ihm entfernt, das Böse, indem man hofft, durch seine Höchststeigerung es machtlos zu machen. Vorzuziehen wäre also hiernach der zweite Fall, denn das Gute betrügt man immer, das Böse in diesem Fall, wenigstens dem Anschein nach nicht.


【和訳】

全ては虚偽であり、嘘である。即ち、まやかしや目くらましの最低の基準を探すこと、普通の状態に留まっていて其の最高の基準を探すこと。最初の場合には、人は、善を求めるこを余りにも簡単に、楽に、容易にし過ぎたいと思うことによって、善を欺き、余りにも不利益な戦闘条件を設定することによって、悪を欺くのである。

二つ目の場合には、人は、善を欺くのであるが、それは、従い、一度ならず地上的なものの中で善を求めて努力をすることにより、善を欺くのである。三つ目の場合には、人は、善を欺くのであるが、それは、出来る限り、善から遠く離れることによって善を欺くのであり、また悪が高い地位に登ることによって、悪の力を喪失させることを望むということによって、善を欺くのである。

このなかからどれを選ぶかといえば、望ましいのは、従い、二つ目の場合であらう。何故ならば、善を、ひとはいつも欺き、この場合には悪を、少なくとも見かけ通りに実際にもそうであるように、欺かないからである。


【解釈と鑑賞】

カフカという人間の思考のあり方とその順序は、面白い。

これら3つの結論は、いづれも最高の、最上の、最善の結論ではないが、しかし、相対的に3つのなかから選ぶとすれば、二番目の結論がいいという結論をいっていて、この結論は、わたしたちの日常的な努力そのものになっています。

この箴言を読んでいて判ることは、カフカというひとは、やはりまづ言葉のあることを信じている、信用しているということです。その上での、この3つの論でありませう。

しかし、他方、カフカという人間の誠に辛辣なところは、これら3つの論理もすべて虚偽である、嘘であるということを言っていることなのです。実は、これがカフカの一番言いたいことでありませう。

【ショーペンハウアーの箴言56】男は女に既にして負けている


【ショーペンハウアーの箴言56】


【原文】

Ist eine Frau im Spiel, hat der mann schon verloren.


【和訳】

女が遊ぶならば、男は、既に(試合に)負けているのだ。


【解釈と鑑賞】

女が遊ぶという前半の条件文のドイツ語の言い方は、直訳すれば、
女が遊びの中にいるならば、女が遊戯の中にいるならば、女がゲームの中にいるならば、女が試合(ゲーム)の中にいるならば、という意味です。

従い、主文の、結論部の文のverlorenは、単にダメになるとか、何かを失うというのではなく、試合に負けるとか、敗者であるという意味になるでしょう。

ドイツ語の言葉の意味の連鎖を踏まえた一文です。

もっと言えば、男のことをいうのに、既にという副詞を使っているのに、女の方には時間を現わす副詞を使っておりません。

ということからも、女の強さ、最初からの、いつからそうであるということを一切問わない文になっております。哲学用語で、transzendental、難しい日本語の訳では、超越論的に、というのが其の意味でありませう。

既に、気がついても気がつかなくても、女はゲームの中にゐるのであります。そして、男はいつも負ける運命にあるのです。