2015年8月11日火曜日

三島由紀夫の『命売ります』を読む


三島由紀夫の『命売ります』を読む


三島由紀夫の『命売ります』が、何故かよく売れてゐるとのネットの記事を読んだ。

株式会社筑摩書房(所在地:東京都台東区、代表取締役社長:山野浩一)は1998年に刊行した三島由紀夫『命売ります』(ちくま文庫)が売上好調につき、2015年7月に7万部を重版しました。
2015年8月6日現在、累計で11万1,200部(20刷)を発行しており、半数以上をこの7月に発行したこととなります。」とのことです。


面白い社会現象だと思ひ、また何よりも現在三島由紀夫の十代の詩を論じてゐることから、早速アマゾンにて註文、昨日着、同日夜読了した次第。

あつといふまに読みました。面白かつた。

この作品は、ちつとも古くない。だから売れるのではないでせうか。

どこが古くないかといふと、やはりその主人公の生と死を、もつといへば
これは転生輪廻の物語だからではないでせうか。

さうして、エロティックな場面もいつくもあるし、ヒッピーやフーテンや全共闘などといふ言葉が出てくるけれども、これらの語彙は風化して塵芥(ちりあくた)になりましたが、しかしそれに代わる塵芥の語彙が流行してゐて、この流行に対して、三島由紀夫がこの小説の中に書いてゐる警句や皮肉めいた観察の言葉が、今でも(上にいいましたやうに)少しも古くない。

やはり、読まれる理由が、今あるやうにおもひます。

そして、興味深かつたことは、三島由紀夫の十代の詩に歌われてゐる語彙や形象や譬喩(ひゆ)が出てくることでした。このやうな語彙といふものがやはり三島由紀夫の世界を作るのです。

印象的な一例を挙げれば、電車の中の吊り手の揺れてゐるさまとか。わたしの読んだちくま文庫の82ページ、第7章の最後の行にこれがありますが、同じことを歌った9歳の詩が決定版第37巻の34ページに『電車の中』という短い詩があつて、この小説から逆算してこの詩の解釈もしようと思へば、この詩の前後の詩を斟酌した上であれば、十分可能だと思はれます。それは、次のやうな詩です。


「電車の中

 でんしやの中のつり手
 ブラブラゆれる

 でんしやの中のつり手
 止まる度にゆれる」


これ以外にも、子供のころから十代に亘つて書いた、三島由紀夫の詩によく歌われてゐる言葉と形象が登場致します。

さう、三島由紀夫が子供のころ好きだったアラビアンナイトも出てきました。かういふところは、少年平岡公威の感情があらわだといふことなのでせう。しかし、そのやうな子供の頃の感情を盛り込んだ作品を、娯楽作品のごとき作品とは言へ、当時版元だつた集英社に其の著作権を金で売るとは。全く割り切った三島由紀夫です。

この心情と論理も、すでに小説の中に織り込み済みである以上、まあさうやつて、楯の会運営のための資金を捻出するための小説だつたとはいへ、しかし同時に、そのやうな子供のころ親しんだ千夜一夜の話を入れることによつても、自分のこころを救つたのだと思ひます。このやうに考へますと、読み方によつては、この作品の娯楽性を裏切つて、痛々しいといへば、誠に痛々しい小説です。

主人公の名前の羽仁男といふのは、当時一世を風靡した左翼の学者、羽仁五郎のもぢりか当てつけかと、思ひましたが、如何でせうか。まあ、つまりこの主人公は、今のこの2015年の此の世の、支那共産党の軍事的脅威に対抗するために必要とする安保法制の其の改正論の、当時と同じ(上に述べたやうな)左翼の、マスコミ(近頃はマスゴミといふらむ)の極端な偏向報道の中にあつて、結果として自分だけは殺されることのないと思ひこんでゐる、即ち左翼連中のと偽善の最初の無知蒙昧を前提にして書いてゐるからです。その偽善の論理を捻つて、即ち自分の命は決して売ることは思ひもしないで、自衛隊員の死を戦争のリスクだといふのと当時も同じ左翼の偽善をひつくり返して、命売りますといふ主人公の設定にしたからです。

それで世相を斬ることができませう。さうして、この作者の剣は、今も世相を斬り続けてゐるのではないでせうか。


だから、売れるのではないかな。とさうおもつた次第です。

三島由紀夫の辞世の歌ふたつのうちの最初の歌に響く鞘鳴りの音は、今も此の世に響いてゐるのです。