2016年6月3日金曜日

横たわる人と立っている人

横たわる人と立っている人

沙漠の丘陵のうねりの向かうに日が落ちるところを、残照が我が顔に照って、暖かさを感じ、それをいはば味わっていたときに、ふと、あと何百回、何千回、このように落日を見ることが、これからの自分の残りの人生で、あるのだろうかと考えたときに、死に行くとは、勘定する時間の単位の名前が段々と、大きい時間の単位の名前から小さい時間の単位の名前に変化してゆくことだと思ったが、これは正しいか。あと、何十年生きることができるだろうかと残る生年の数を勘定し、あと、何年生きることが出来るだろうかと勘定し、あと何ヶ月生きることができるだろうかと勘定し、あとなん日生きることができるだろうかと勘定し、あと何時間生きることができるだろうかと勘定し、あと何分、あと何秒と時間の単位を数えて、ひとは死に至るのだ。しかし、この場合、一体だれが数を数えているのだろうか。死に行くその人だろうか、それとも、傍にいる恋人、友人、知人、長年の連れ添い、親類縁者、医者、看護婦だろうか。意識の薄れ行くひとは、数を数えることができる限り数を数えたとして、さて、そのひとを囲んでいるこれらのひとたちは、一体どこまでその数を数えることを続け、またどこでその数を数えることを止めることができるのだろうか。何を契機に、横たわるひとは計算することを止め、何を契機に、立っているひとは、計算することを止めるのだろうか。

もし横たわっているひとが、立っているひとが計算を止めた後もずうっと計算をその意識の中で継続しているのにもかかわらず、立っているひとが、見かけで判断をして、ああもはやこのひとは生きてはいないのだと誤った判定をして、その計算を止めてしまったならば、それは一体どういうことを意味するものだらうか。立っているひとは、横になっているひとが、生きているか死んでいるかは、外見で判断する以外にはしていないということなのだろうか。一体そのひとがまだ生きているのか、既に死んでしまったのかは、どうやって知ることができるのだろうか。横たわっているひとがもの言はぬひととなり、ことばを発しなくなってしばらくして、そうして体に紫斑や死斑がでてから、ああこのひとは、どうやら本当に亡くなったらしいと思って、そこではじめて時間の計算を止めるのだろうか。そのときには、立っているひとは、どこまでの時間の単位の名前を挙げて、勘定をしているのだろうか。そのような標準は、どこにもない。だから、だれも、そのひとの死に納得しない。そのひとに死斑が出れば、そのひとの死を知るに遅く、そのひとがことばを失えば、そのひとの死を思ふには早すぎる。

死者とは、その先もずうっと小さな時間の単位の名前を計算し続けるひとのことをいうのだろうか。生者とは、ひとが死んだと思うその前まで計算をし、ひとが死んだ後には、そのひとについての計算をしないし、しなくともゆるされるひとのことをいうのだろうか。わたしは、一体わたしの時間を永遠に計算し続けることができるのだろうか。また、わたしの死後永遠にわたしの時間を計算し続けるひとが、わたしの傍にいるのだろうか。死者は一体どれだけの時間が、死後も追憶として、追慕として、生者の時間のなかで計算されるのだろうか。神道では、64年忌が最後であると、わたしの叔父のひとりが言った。

はなしをもとに戻そう、横たわるひとが数えている数と、立っているひとが数えている数とが一致させるということは、如何様にしても算段することができない。つまり、立っているひとは、横たわっているひとの数を知ることができない。知っているという確信がない。それならば、どうやって御臨終ですということばを、医者は口にすることができるのだ。医者でないひとは、一体どうやってその言葉を口にすることができるのだ。そのひとの死を知ることは、結局、できないのではないだろうか。それならば、もっと時間を逆流させて、横たわっているひとが、まだ立っているひとであったときも、そのひとの死も、従って生も、だから、生と死の境も、やはり、実は、曖昧だったのではないだろうか。ほら、こうやってこの一文を書いているわたくしも、読んでいるあなたも。

頭木弘樹著『絶望読書』を読む

頭木弘樹著『絶望読書』を読む

頭木さんの名前を初めて知ったのは、西暦で1998年、和暦で平成10年でした。

当時私は、思い出せば失業中で、Macintoshに向かってKafkaに関係する記事やウエッブサイトを探していたのでした。そこに、頭木さんのサイトがあり、おそらく其処からダウンロードしたのだと思いますが、そのカフカの翻訳と「Read Me First」と題した導入のための文書が、今も私の幾つも代替りしたMacintoshに、それもElias Canettiのフォルダーと並んで同じ階層に、保管されています。

今検索しますと、当時の頭木さんのウエッブサイトは今も生きていて、次のサイトです。


この自己紹介のページには、次のやうに書かれています。10年に及ぶ闘病生活の後に立ち上げた記念すべきウエッブサイトであっとことを改めて知りました。

「好きな作家(評論ではこれらの作家の言葉をたくさん引用しています)
安部公房
カフカ
マルケス
ハロルド・ピンター
カネッティ
ドストエフスキー
ベケット
好きな分野
現代文学、映画、現代音楽、落語……etc.」

私の発行するもぐら通信の、早くも第3号に、頭木さんには秀逸緻密なる映画論『安部公房、映画に行く―ルイス• ブニュエルの「忘れられた人々」 』のご寄稿戴きましたが、これが2012年の11月30日号、私が頭木さんのカフカに接してダウンロードしたのが1998年11月14日。

既に、もぐら通信を発行する前に病み上がりの直後にお会いしていたことになります。この時、私は失業中でしたので、誰かを何かを求めていたのでしょう、メールの中で頭木さんに自己紹介をして貧しい感想の数行を送り、カフカの好きな変なおじさんですと云って自己紹介したことを覚えています。残念ながら、怪しいおじさんだと思われたのか、頭木さんからの返信はありませんでした。

さて、感想を申し述べたいと思います。とは言へ、この本の感想を述べると、そのまま私のことを語ることにどうしてもなってしまいますので、後者を回避して、前者を優先的に論じることを考えて、以下のような奇妙な感想となることをご了解下さい。おそらくは、私の人生も、頭木さんの発明した語彙を借りると、頭木さんのような難病に罹ったことはないにせよ、別の理由で『絶望人生』だったのではないかと、この本を読んで内容を紹介しようとして、初めて気がつきました。

それゆえに、私たちは安部公房の読者なのでしょう。安部公房未見の方に、是非安部公房を読むことをお薦めします。あなたが今幸せだと思うならが、敢えて読む必要はありませんし、読まないで下さい。

さて、内容の紹介をしないで感想を書くという奇妙な感想文を以下に続けます。私が付箋を施して、人に伝えたいと思い、私もまた共感した箇所が全部で16か所ありました。全部を論ずることは量も多いので、これらの中にある頭木さんの言葉を幾つか列挙して、お伝えしたいと思います。括弧の中は、頭木さんの地の文からの引用です。

1。P23:物語は現実を知るためのもの
レベッカという、知的障害があると世間にも専門家にも誤解されている19歳の女性の逸話の話です。

「現実世界を把握するのは、とても難しいことです。健常者であっても、世の中はわからないことだらけです。」

私も一桁の小学生の学齢の時、子供の足で歩いて、そして子供はいつも急がずに道草を食いながら歩きますから、15分ほどのところにある小学校に行くのに、毎朝歩きながら、頭の中でシナリオを書いていました。毎日毎日書きました。それは何故かというと、学校へ行き、学級の教室へ入って、同級生たちが大勢いるわけですが、この同級生たちがいること其のことと、その空間の意味が全く理解できなかったからです。今書くとこのように難しい語彙で語るわけですが、当時は語彙も貧しく、頭木さんのいうように「現実世界を把握するのは、とても難しいことです。健常者であっても、世の中はわからないことだらけで」あったのです。

そうして、誰も私のシナリオ通りに会話をしてくれませんでした。誰も私のシナリオ通りに演じてくれないのです。最初の一言を発すると同級生は全く予期せぬ応答の言葉を口にするのでした。途端に私の世界は崩壊して、その音立てぬ音、沈黙の、無音の音とともに私以外の世界が一瞬で崩壊して、目の前が真っ暗になるのです。当時は絶望などという言葉も知りませんから、これが何かも理解できない。授業が午後に終わって、なだらかな丘陵地の、両脇には大根の畑があって、その間の細い道を登って家路につく私の心情はどうかといえば、ああ今日も駄目だったと心中つぶやき、がっくりと肩を落として、やはり目の前が真っ暗のままでありました。ただいまと言って家の玄関の戸を開けるまで、それは続くのです。今ならば、確かに絶望的とか、悄然たる後ろ姿でとか、暗澹たる気持ちでなどというところでしょうが、子供ですから言葉にならないのでした。全く目の前が文字通りに真っ暗であった。

さて、頭木さんは、ここで絶望状態を脱するために、ミニチュア模型と地図の話をしていますが、これこそが安部公房の世界なのです。テルマエ・ロマエで有名になったヤマザキマリさんがローマにいて絶望的な毎日を送っていた時に貪るように読んだ二人の日本語の作家のうちの一人が、安部公房だとブログのエッセイにお書きになっています。もう一人は、開高健でした。ヤマザキマリさんが繰り返し読んだのは『方舟さくら丸』でした。ヤマザキマリさんのブログの当該記事です:

かつて留学先のイタリアで貧窮状態に陥っていた頃、私は胃袋を満たせない代わりに安部公房の作品を貪(むさぼ)るように読んだ。安部作品を読む事で惨憺(さんたん)たる自分の生活を漸(ようや)く客観視し、不安定だった精神のバランスを保っていた。イタリアへルネッサンス絵画の勉強に赴いていながら、恐らく当時の私に最も強い影響力を齎(もたら)したのは安部公房だろう。執拗(しつよう)に読み返してしまう幾つもの彼の作品の中でも、世界3カ所にある住処(すみか)全てに常備してあるかけがえのない本が、先のワープロで初めて書き下ろしたという長編『方舟(はこぶね)さくら丸』だ。」[http://book.asahi.com/reviews/column/2012101500021.html

ヤマザキマリさんにとって、『方舟(はこぶね)さくら丸』は、自分で思考するためのミニチュアの模型であり、人生案内の道なき地図であったのです。

2。P31:人生脚本
「「人生脚本」という言葉があります。精神分析の現代版とも言われている心理学理論、交流分析の用語です。」

これは、上記1に書いた通りの私の脚本がこれであったのでしょう。

あなたには人生のシナリオがありますか?

3。P37:絶望したときこそ、絶望の書が必要に
「絶望的な《転機》によって、無理矢理に人生の脚本を書き変えなければならなくなったとき、そのときこそ、人は最も物語を必要とするのではないでしょうか。」

本当に其の通りです。

4。P108:絶望した人の声は聞こえて来ない
「「清いものは常に汚れたものの中から生まれ出で、光り輝くものは常に暗闇の中から生まれ出る」と洪自誠は『菜根譚』で言っています。

まったくその通りではないでしょうか。」

私も全くその通りだと思いました。お釈迦様も蓮の花が高く泥沼の中から清浄清廉に立つ姿をおっしゃっております。

5。P138:自分もやはり何かを待っている
ここの段の文章は、太宰治の『待つ』という小説の感想文を書いた時に、この待つということの深い意味、即ち意義を知っていた或る狂気じみた先生のことが語られています。

頭木さんがこのことに中学生で感銘を受けたということは、上に挙げた頭木さんの好きな作家たちの名前が共通に其れを示していると思います。筆頭に名前の挙がっている安部公房は、このことをリルケの『マルテの手記』を読んで、学んだのでした。

6。P146:絶望の言葉が救いになる時
「前にも書きましたが、私は大学三年の二十歳のとき、突然、難病になりました。(略)
 泳げない人が必死で板切につかまるように、絶望の中で必死にカフカにしがみついていたのです。」

本当に絶望しているときには、絶望という言葉すら意識に昇りません。そんな余裕はない。振り返ったときに、そこから脱出をしたときに(すべての安部公房の主人公たちのように)初めて、人間は言葉を思い出すのです。私の経験ではそうでした。本当に孤独であれば、孤独という言葉を口にすることはなく、発音することもなく、文字にして書くこともできないし、そもそも其の様な事を考えない。絶望についても同様です。

そうであればこそ、日常言葉を交わしていられるということは、なんという幸せなことでありましょう。それは、皆が皆、言葉の恩恵をすっかり忘れていて、忘恩の徒に成り果てているからなのです。

ドイツのハイデルベルクで、20代の前半のある年に、全くことばを発しないイタリアの若い女性にあったことがあります。折に触れ、思い出します。日常の会話の中で、そのありふれた出来合いのシナリオの中で、沈黙して生きる此の長い黒髪の美しい女性の印象は誠に、今でも、深いものがあります。

6.1 P147:絶望の言葉が救いになる時
「生きることは、たえずわき道にそれていくことだ。」

これは、頭木さんの引用しているカフカの詩の中の一行です。

これは真実であり、人間にとっての真理であると、私は思います。私の好きなトーマス・マンは、その二十代の名作『トニオ・クレーゲル』の中で、同じ趣旨のことを、そうして其れが何故かも書いています。主人公トニオ・クレーゲルというの30代前半の若い作家の言葉として。そして、友人のロシア人の女流画家、リザヴェータ・イワノーフナにこういうのです。

“Alles verstehen hieße alles verzeihen? Ich weiss doch nicht.”

「すべてを理解することは、すべてを赦すことだろうか?私にはわからない。」

これは、次の7の感想に続きます。同じことの裏表です。

7。P149:薄いという理由で選んだ『変身』
「今まで走ってきたレールから脱線してしまって、もうその先を入ることは無理になってしまっても、人はなかなかそれを受け入れられないものです。」

この小説の主人公は、ある朝目覚めてみると、自分が人間大の巨大な虫になっているという話です。

若い時の安部公房の映画についての言葉を借りれば、フランケンシュタインのような異形のものと、それを機嫌いし追い払い否定する世間の人間に対して、異形のものが深く覚える悲しみということになります。

しかし、言葉の眼で世間と人間を見ますと、上記6に書いた通りに、どちらが絶望的なのかはわからない。いや、わかっているのです。世間の方が倒錯しているのです。しかし、誰もそう思はない。

三島由紀夫は、澁澤龍彦の主幹した『血と薔薇』に「All Japanese are perverse」と題したエッセイを書いています。全く21世紀の今でも、all japanese are perverseです。私には、何もかもperverseであり、reversalであり、averseであるように、益々見えて来ます。それゆえに、私の安部公房の読者のためのブログ『安部公房の広場』の上辺には、歳とともに過激になれ!と標榜してあるのですhttps://abekobosplace.blogspot.jp

8。P157:もっと読んでみたいと思った方には
「先に紹介した、カネッティの『もう一つの審判』もおすすめです。」

私もカネッティはおすすめします。日本にはこんな作家はおりません。いるとして名前を挙げることができるのは、安部公房、安部公房の存在の中の師石川淳、そして安部公房の発見者埴谷雄高の3人の作家です。安部公房はカネッティについて、次のような感想を述べています。

「「世界で最初のカフカ論は、カネッティが書いたらしい。両方とも孤独な作家だ。まだ世間に知られていないカフカのことを、まだ世間に知られていないカネッティがせっせと書きつづっていたんだな。ちょっと孤独すぎるようなきもするね」と安部公房が書いています(「錨なき方舟の時代」『安部公房全集27』)」

この発言のインタヴューの最後に、安部公房はまた、カネッティを評して、「じわじわ燃えつづける泥炭の火みたいに、それはそれですごいエネルギーなんだよ」と言っています。この譬えもまた、カネッティにピッタリです。カネッティもまた、待つことのできる、本物の言語藝術家です。頭木さんの好きな作家の一人、アイルランド人のサミュエル・ベケットもまた、その一人です。有名な戯曲の題名『ゴドーを待ちながら』がやって来るのを待つまでもなく。

この発言のあるインタヴューを探していて、別のインタビュー『核シェルターの中の展覧会』(全集第28巻、111ページ上段)に、偶々次の安部公房の発言を見つけました。これは、頭木さんの此の御著書にとっても関係の深い発言で、私も全く同感なのです。

「ぼくなんか音楽はウォークマンにかぎる。音域が狭いのが難点だけど(略)、とにかくベッドで寝っころがって聴けるのがいい。ふざけているわけじゃなく、この寝っころがって聴けるというのは、藝術の本質にかかわる重大な問題なんだよ。」

(このついでに、随分前に私の書いた短編(小説であるかもおぼつかない)のあるのを思い出しましたので、それを此の感想文の後に上梓します。:
https://sanbunraku.blogspot.jp/2016/06/blog-post_3.html

9。P173:「私が寂しいときに、よその人は知らないの」
「絶望したことのある人なら、この気持ちがよくわかるでしょう。」

全くよくわかります。

上記1で、小学生の私の経験に書いたように、私だけが目の前真っ暗で、暗澹たる(と今の大人である私は言うことができるが、そもそも子供にはこんな難しい漢語はない)気持ちで、周囲の空間も時間も一瞬にして無音のままに崩壊してゆくのを目の当たりにしているにもかかわらず、その同級生は笑顔で私に話しかけてくるのである。なんという差異であろうか。

10。P192:月のように、夜の暗さと共にある明るさ
「絶望しているときに落語を聴くと、最初は、大笑いの声とか入っていて、「とてもこんなものを聴く気分ではない」と思うかもしれません。こっちは泣きたい気分なのにと。」

ここで頭木さんが再び落語のことを語って、そうして絶望との関係で、今まで上には引きませんでしたが、「桂米朝といっしょに「地獄」を巡る」という章(P179)で論じている「駱駝」という落語は、死んだ人間の死体を担いで歩き廻て余所に利用するという、一種異様異常の話です。しかし、笑いと凄みが同居している、そういうことから行ったら一級品の話です。この落語もまた誠に印象が深い。

私の好きなトーマス・マンは、言語の藝術家である自分を或るエッセイで月に喩えています。何故ならば、月とはヘルメスという古代ギリシャ神話の神の一人に通じており、この世での其の役割は媒介者であり(ヘルメスは媒介者です)、媒体であって、夜に存在していて、自分は発光せずにいて、太陽の光を受けて地球に其の静謐な光(太陽熱のある昼間の光ではない)を夜の地球に届けるからです。これが、藝術家であると、マンは言っています。

こうしてみますと、この著書の自己紹介のところに、頭木さんが自分のことを文学紹介者と呼んでいるのは、意味のあることだと思います。

「ユーモアのなかには常に苦痛が隠されている。それだからこそユーモアには共感というものがあるのである」というキルケゴールの言葉は、そのまま安部公房の言葉と為しても同じであると思はれる。

この本の最後に参考文献の一覧が付いていて、そこにあるドイツ語やフランス語や英語の名句名言集や事典や、逸話事典の趣味は、私と全く同じです。私もなぜこのような名句名言逸話が子供の頃から好きなのかということを折に触れて考えるのですが、やはり簡潔に人間の本質を言い切るというところに魅力を感ずるのでしょう。さて、更に問うて、それが一体何を意味しているのかは、まだまだ先があるように思はれます。

参考文献欄に安部公房の名前がないのは、安部公房が余りに、このように感想を書き綴って来ますと、頭木さんであるからでありましょう。