2015年1月31日土曜日

【カフカの箴言56】精神と世界を見る視力の段階について

【カフカの箴言56】精神と世界を見る視力の段階について


【原文】

Es gibt nichts anderes als eine geistige Welt - was wir sinnliche Welt nennen, ist das Böse in der geistigen, und was wir böse nennen, ist nur eine Notwendigkeit eines Augenblicks unserer ewigen Entwicklung.
Mit stärkstem Licht kann man die Welt auflösen. Vor schwachen Augen wird sie fest, vor noch schwächeren bekommt sie Fäuste, vor noch schiecheren wird sie schamhaft und zerschmettert den, der sie anzuschauen wagt.


【和訳】

ある精神的な世界以外には何もないのだ。感覚的な世界と、我々が呼んでいるものは、精神的な世界では悪であり、そして、悪と呼んでいるものは、我々の永遠の進展の一瞬の必要性にすぎないのだ。
最も強い光を以って、世界のもつれや結び目を解いて、その秘密を明らかにすることができる。視力の弱い目を以ってみると、世界は堅固になり、もっと視力の弱い目でみると、世界は拳骨ばかりを手にしているし、更に弱い視力の目でみると、世界は恥辱的になって、敢えて、勇気を以って、世界を直視しようとする者を粉砕するのだ。


【解釈と鑑賞】

この弱い視力の段々の例えは如何にもカフカらしいと思います。

また、このような見方に対して、最初の提示しているのは、最も強い光で世界を見なければならないということです。その光でみると、世界の謎が解けるというのです。

そうして、その強烈な光を発して見る其の力を精神と呼んでいます。

【ショーペンハウアーの箴言55】人間から理性をとったら動物そっくり


【ショーペンハウアーの箴言55】人間から理性をとったら動物そっくり


【原文】

Daß uns der Anblick der Tiere so ergötzt, beruht hauptsächlich darauf, dass es uns freut, unser eigenes Wesen so vereinfacht vor uns zu sehn.


【和訳】

われわれにとって、動物たちを見ることが慰めになり、楽しいことであるのは、専ら次のことに拠ってゐる、即ち、そのことが、われわれ独自の本質(在り方、存在)を、かくも単純化して、われわれの眼前にみることが喜びであるということである。


【解釈と鑑賞】

この一連の、動物と人間の対比による箴言というのは、如何にもこの哲学者らしい。

これも皮肉が効いていて、つまり、人間には理性は無いといってゐるに等しいのです。

単純化と訳したドイツ語の語幹は、einfachですが、これの意味は、単純ということから、馬鹿という意味でもあるからです。




2015年1月24日土曜日

【カフカの箴言55】勝利するためだと言って、人も世界も騙してはいけない



【カフカの箴言55】勝利するためだと言って、人も世界も騙してはいけない


【原文】

Man darf niemanden betrügen, auch nicht die Welt um ihren Sieg.

【和訳】

人は誰をも騙してはならない、また世界をも騙してはいけないことは同様である。世界が勝利することと引き換えにしてでも騙すこともしてはいけないのだ。

【解釈と鑑賞】

前回の箴言と同じ流れの中にある、同じ文脈の中にある箴言です。

前回の箴言とは、何か逆のような箴言に思われます。

即ち、世界との戦いにあっては、世界を支持せよという命令形の前回の文と、今回の、世界の勝利と引き換えにしても世界を騙すなという文との関係は如何なるものでしょうか。

このとき、わたしが若いときに読んでこころに残っているカフカの言葉あります。

それは、勝たなくても良いのだ、負けなければ良いのかという言葉です。

この言葉は、わたしの人生ん折に触れて、こころの中に思い出された言葉です。

これは、今回の箴言に通じているカフカのこころでありませう。

この箴言をあらためてよみますと、何か世界というものとの道徳や倫理をカフカは言っていると思います。

そうして、問題なのは、何か具体的な個々のあのひとこのひと、あの社会、この社会というのではなく、非常に抽象的に、すべてをひっくるめて、風呂敷に包むように、世界と言っていることなのです。

これは、むしろカフカの、何かの理由による苦しさ、生きることの苦しさであるのかも知れません。

この箴言を文字にしたカフカの年齢が知りたいものです。

【ショーペンハウアーの箴言54】我欲と認識


【ショーペンハウアーの箴言54】我欲と認識


【原文】

Aller Eigensinn beruht darauf, dass der Wille sich an die Stelle der Erkenntnis gedrängt hat.

【和訳】

すべての我儘(わがまま)は、意志が認識の地位に突き進んだということの上に、胡座(あぐら)をかいてゐるのだ。

【解釈と鑑賞】

これも、その通りです。

意志が、宇宙を生んで、その生成してやまない宇宙の最高位に認識の主体たる人間が生まれ、意志を認識する。

しかし、その間、人間が認識に至ったまでの、至るまでの、至るであろう迄の間には、それぞれの階層で、すべてのエゴイズム、すべての我欲が現れて、互いに傷つけあい、殺し合う。

トーマス・マンの『トニオ・クレーゲル』の中の一行、愛するものは常に敗者であるという一行を思います。





【カフカの箴言54】我と世界の戦いでは



【カフカの箴言54】我と世界の戦いでは

【原文】

Im Kampf zwischen dir und der Welt sekundiere der Welt.

【和訳】

お前と世界の間の戦いでは、世界を支持しろ。

【解釈と鑑賞】

カフカが、お前という場合には、いつも独白で、自分が自分に言っているように思われる。

自分をではなく、世界を支持しろという命令形は、何があったのか、カフカが自分を認めることができなくて、しかし他方世界は無条件に信用するようなものではないこともカフカは十二分に知っているわけですから、さて、一体どうしたものかというときに此の言葉を発したのでしょう。

やはりこの言葉を発するときには、カフカは、世界の外側にいる何者かの存在、神を信じようとしたのだと、わたしは思います。

【ショーペンハウアーの箴言53】謙虚と偽善


【ショーペンハウアーの箴言53】謙虚と偽善


【原文】

Bescheidenheit bei Mittelmäßigen Fähigkeiten ist bloße Ehrlichkeit. Bei großen Taten ist sie Heuchelei.

【和訳】

中位の、常識的な能力の場合に謙虚であるということは、全くの誠実であり、実直である。偉大なる行いの場合には、それは、欺瞞であり、偽善である。

【解釈と鑑賞】

これも、その通りです。

日本人は、実るほど頭を垂れる稲穂かなといって、この箴言を、いつのころからか否定して来ました。

わたしが、日本人にしばしば感ずる偽善は、これが、その一つなのだと思います。

この日本人の偽善は、間違いなく、民主主義という政治の、戦前ではなく戦後に持っている日本人の偽善と軽薄に通じてると思います。

真に謙虚であることは、誠に難しいことである。

そのような謙虚を見抜くことのできる日本の社会でありたい。そうでなければ、社会は退廃することでありませう。





2015年1月17日土曜日

【カフカの箴言53】蛇と天使と 悪と善と



【カフカの箴言53】蛇と天使と 悪と善と

【原文】

Es bedurfte der Vermittlung der Schlange: das Böse kann den Menschen verführen, aber nicht Mensch werden.


【和訳】

蛇の仲介が必要だった。即ち、悪は、人間を誘惑することができる、しかし、人間になることはできない。


【解釈と鑑賞】

これは、カフカの現実認識を示している。蛇が仲介であり、媒介者であるということを、このドイツ語で、die Vermittelungという言葉を選択するカフカの日常は、実に苦しいものであったにちがいない。

なぜならば、自分は空であり、虚であることの認識が自分にあったからである。もちろん、これが心地よいという人間もいるのだ。

しかし、今まで読んできたカフカの箴言をみると、この人間はそうではない。

この箴言を次のように言い換えると、カフカのことが、よくわかるのではないだろうか。

天使の仲介が必要だった。即ち、善は、人間を誘惑することができる、しかし、人間になることはできない。

【ショーペンハウアーの箴言52】本の購入と読書の時間を


【ショーペンハウアーの箴言52】本の購入と読書の時間を


【原文】

Es wäre gut, Bücher zu kaufen, wenn man die Zeit, sie zu lesen, mitkaufen könnte.


【和訳】

もし本を買って、その読書の時間を一緒に買うことが出来るならば、どんなにいいことだろう。(実際には、本は買ったが、読む時間はないのだ。)


【解釈と鑑賞】

これも、その通りで、積ん読の所以でありませう。



2015年1月11日日曜日

【カフカの箴言51】個人的な神への信仰



【カフカの箴言51】個人的な神への信仰


【原文】

Der Mensch kann nicht leben ohne ein dauerndes Vertrauen zu etwas Unzerstörbarem in sich, wobei sowohl das Unzerstörbare als auch das Vertrauen  ihm dauernd verborgen bleiben können. Eine der Ausdrucksmöglichkeiten dieses Verborgenbleibens ist der Glaube an einen persönlichen Gott.


【和訳】

人間というものは、人間自身の中に何か破壊でき得ないものへの持続する信頼がなければ、生きてゆくことができないのだ。この場合、破壊でき得ないものも、それから信頼するということも、人間に対しては、持続的に隠されてあることがあり得るということなのである。この、隠されてあるということの表現の幾多の可能性の一つは、個人的な神への信仰なのである。


【解釈と鑑賞】

カフカの此の最初の一行は、その通りであると、わたしは思う。

しかし、最後の一行には、賛成しない。何故ならば、個人的な神などは無いからである。

神、というのであれば、それは既に個人的なものではない。

カフカは、ニーチェを読んだのであろうか。そうであれば、わかるように思う。

しかし、それであれば尚、またそうであればこと、神という言葉本来の意義と意味に戻って考えれば、個人的な神などは存在しないのである。

この最後の一行は、そうすると、カフカという人間は、言葉に頼ったということであり、さて、しかし、カフカは言葉、言語を何だと考え、どのようなものだと考えたのかという問いに答えることになるだろう。

これからの箴言には、この問いに答えるカフカの箴言が出てくるものと思はれる。

【ショーペンハウアーの箴言51】宗教は夜光虫のようなものである


【ショーペンハウアーの箴言51】宗教は夜光虫のようなものである


【原文】

Du weißt es, die Religionen sind wie die Leuchtwürmer: Um zu leuchten, bedürfen sie der Dunkelheit.


【和訳】

宗教が、夜光虫のようなものであることを、お前は知っているだろう。即ち、光るためには、夜光虫は、暗闇を必要とするのだ。

【解釈と鑑賞】

もし宗教が繁盛するような時代があれば、それはその時代は暗闇だということを意味している。ということを、言っている箴言です。

21世紀のこの2015年の現代や如何に。

2015年1月3日土曜日

【カフカの箴言50】巨匠と天

【カフカの箴言50】巨匠と天


【原文】

A. ist ein Virtuose und der Himmel ist sein Zeuge.


【和訳】

A何某は巨匠であり、そして天は、彼の証人である。



【解釈と鑑賞】

この一行は何を言っているのだろうか。

A何某と言っているので、実際に誰か具体的な人物がいるのであろう。

そしてという接続しを順接ととるか逆説ととるかで、この一行の解釈は二つに分かれる。

あっさり言ってしまえば、

ひとつは、この巨匠が本物である場合

ふたつは、この巨匠が偽物である場合

この二つです。






【ショーペンハウアーの箴言50】宗教は無知という母親の子供なり


【ショーペンハウアーの箴言50】宗教は無知という母親の子供なり


【原文】

Religionen sind Kinder der Unwissenheit, die ihre Mutter nicht lange überleben.


【和訳】

この世には様々な宗教があるが、それらは、無知の子供であって、この子供達は、自分の母親(無知という母親)より長く生き延びることのない、そのような無知の子供達なのである。


【解釈と鑑賞】

前回の宗教に関する箴言では、近代国家は不完全であること、国家が何もかもすべてを取り仕切ることはできないことを言い、その間隙と、その間隙から漏れ落ちるものを掬い取るのが、宗教だということ、そして、それで、まあ近代国家もなんとか松葉杖たる宗教に頼って歩いて行けるということを言ったショーペンハウアーですが、今度はこの箴言では、その前言を否定するかのように、やはり思考する者に相応しく、その論理の振り子を逆に振って、この箴言の一行を書くのです。

この一行は一体何を言っているのでしょうか?

宗教という宗教は皆、無知の子供であると言っている。従い、母親が、無知というこの名前の母親なのです。

無知という母親よりも長生きができないという意味は、無知でなければ、また無知の中にとどまっている限り、その子供たる宗教は生きていられるということを意味するでしょう。

即ち、宗教は、無知から生まれたからです。

しかし、このことは、単に否定的な意味合いで言っているようにも思えません。

更に、しかし、他方、次の同じ宗教についての箴言を読むと、いやそうではないのかとも思います。

この一行の解釈や如何に。