2016年3月29日火曜日

松宮宏氏の小説について

松宮宏氏の小説について

安部公房の世界から松宮宏といふ小説家の世界を眺めるとどのやうに見えるのかといふことを述べて、私の批評の文としたいと思ひます。

この間、私の読んだ松宮作品と其の順序は、次のやうなものです。

(1)まぼろしのパン屋
(2)秘剣こいわらい
(3)くすぶり亦蔵 秘剣こいわらい
(4)さくらんぼ同盟

最初に読んだ「まぼろしのパン屋」で既にこのやうに思つたこと、即ち松宮作品には、3つの特徴があることを知りましたので、それは箇条書きにすると次のようになります。

1  仮説設定の文学

この作家の文学は、安部公房の語彙をそのまま借りますと、仮説設定の文学です。

同じ作家に、同じ関西生まれの筒井康隆がゐます。

仮説設定の文学といひますのは、文字通りに、ある仮説を立てて、その仮説をそのまま敷衍したら一体何が起こるのかといふことを、どんなに奇想天外な話にならうとも、徹底的に最後まで書き抜くといふ文学、そして此の場合は小説です。

安部公房ならば、位相幾何学の発想から、人間のコモン君が突然デンドロカカリヤ・クレピディフォリア(Dendrocacalia crepidifolia)なる植物に変形してしまふ、あるひは、S・カルマ氏が壁になつて永遠に垂直方向に、砂漠の中で成長してゆくといやうなものです。

『さくらんぼ同盟』ならば、美しく艶(つ)やかなさくらんぼが人間の腋に埋まるやうにして出現するといふ奇病の設定といふことになりませう。それによつて、物語が実に大きく進行し、展開するのです。

この設定といふ事は、仮に事実に材をとつた場合でも、同様にあるものと思ひます。

これは、この作家の本来の力なのですが、しかし他方、読者の目には、作者の旺盛なあるサービス精神と映ります。作者と読者はかうして永遠に誤解しあひ、永遠にすれ違ふ仲なのです。


2 話法(mode)

この作家は話法を多用し、これを縦横無尽に使ひこなします。

さうして、ここに、この作家の一番生き生きとした感情が現れる。それも、関西弁を使ふので、益々陽気な、いい感じの声調(voice)があらはれます。

例えば、『秘剣こいわらい』は、冒頭から主人公の内的独白の一人称の小説ですが、読み進めるうちに、作者(話者といふべきでありませう)が、直接話法、即ち「 」を使つて登場人物同士の会話をさせるのを契機に、話法が切り替わつて、いつの間にか、作者の筆は人称を渡つて出入りを繰り返して、読者の意識を、地の文と会話(直接話法)と主人公の一人称の内的独白の境界を自由に行き来させるのです。これが、読み手には実に広い快感を与えへ、娯楽を与へてくれるのです。


3 誇張

これは日本語ならば誇張ですが、これを英語でいひますと、deformation、再度日本語でいふならデフォルメが、この作家の3つ目の特徴で、これも上の2で言及した作者の声調(voice)と裏表の関係にあつて、やはり効果を上げてゐて、読者を最後まで飽きさせずに引つ張つてゆく牽引力になつてゐます。

この誇張によつて、作中に笑ひとユーモアが現れます。この笑ひとユーモアは、俗にいふ純文学には甚だ少ないものであつて、作者が何故娯楽小説、いや小説に娯楽を求めてやまないかは、ここに、その理由があると思はれます。

さて、これらの3つの特徴、言い換へれば、この作家の小説を構築する際の技術といふべきものですが、この藝術といふ表現の技術を用ゐて、作者は、作品といふ器に何を盛るのかといひますと、これが冒頭に掲げた作品全てに共通するものなのですが、これがまた、実に古風でありまして、人間の持つ古いものに対する憧れと、古いものを大切にするこころなのです。

これが、松宮文学の良さです。その典型として剣術が、そのやうな憧れのこころを表すための、大切な素材となつてゐるのです。

もつと言いませう。即ち、松宮文学の真骨頂は、義理、人情、浪花節なのであります。如何にも関西の作家です。どの作品も、最後に必ず読者の胸をキュンとさせて、読み手を泣かせる結末になっている。

さて、さうして、最後に述べますと、結局は上の2の話法の話になるのですが、この作家が三島由紀夫のファンである理由は、上の話法と云ふ技術を使うことによって、現在から過去へと話者と主人公の意識が追想し追憶すること、これがこのまま作者の作品の構造化の試みになつてをりますので、作品の此の構造化された様式が、そのまま三島由紀夫の世界の根底にある三島由紀夫の意識の在り方に通じているからだと、私は思ひます。

三島由紀夫の諸作品の持つ、常に今この瞬間の此の只今の現在から過去を追想・追憶するといふ様式化に、この作家の作品の構造は通じてゐるのです。

『秘剣こいわらい』『くすぶり亦蔵 秘剣こいわらい』と連作が続き、既に第3作目は完成してゐるとのことですので、実に楽しみなことです。

この第3作は、間違いなく上の3つの技術・技藝を存分に活かした作品になつてゐるに違ひありません。

さうであればこそ一層の傑作である此の作品の刊行が切に待たれます。