2014年9月23日火曜日

【カフカの箴言35】所有と存在



【カフカの箴言35】


【原文】


Es gibt kein Haben, nur ein Sein, nur ein nach letztem Atem, nach Ersticken verlanendes Sein.


【和訳】

所有ということなど存在しないのだ、ただ一個の存在があるだけだ、ただひとつの、最後の呼気を求めて、窒息を求めて欲求している存在があるだけなのだ。



【解釈と鑑賞】


人間を存在と呼んだことで、余計な解釈抜きの、箴言になっています。

所有でなければ、非所有であり、存在は所有することの叶わぬものです。カフカは、人間をそのようなものと言っている。

それも、時間の中では、行き着く所は、最後の息、即ち窒息であるというのです。


この窒息という語の選択には、読者には、何かしら惨(むご)いものがあります。

【ショーペンハウアーの箴言35】人生という旅の路銀は


【ショーペンハウアーの箴言35】




【原文】


Ein guter Vorrat an Resignation ist überaus wichtig als Wegzehrung für die Lebensreise.



【和訳】


諦念を良く貯蔵して、蓄えておくことは、人生の旅のための路銀として、非常に重要である。



【解釈と鑑賞】


これも、貯蔵も路銀と訳したドイツ語も、ドイツ語としては、互いに縁語です。日本語では表に出て参りませんが。







2014年9月20日土曜日

【カフカの箴言34】カフカと漆喰



【カフカの箴言34】


【原文】


Sein Ermatten ist das des Gladiators nach dem Kampf, seine Arbeit war das Weißtünchen eines Winkels in einer Beamtenstube.


【和訳】

彼の疲弊は、闘いの後の(ローマ時代のあの円形劇場で戦った)戦士の疲弊であり、その仕事(労苦)は、役人の部屋の中にある一角の(石灰などで塗った白い)一寸した漆喰だったのだ。


【解釈と鑑賞】


何か、カフカが昼間の生業で仕事に疲れ果てたときに書いた箴言のように読めます。

二つ目の文からは、一生懸命問題の解決に努力したが、結局それは、全体のよく見えない、部屋の角の漆喰の、綻(ほころ)びを糊塗して一寸ひとのめにはわからなければよいという程度の修繕の、それも役人の部屋のそれだと言うのです。

カフカが保険の手続きのために、プラハの役所に行くと、役人の坐っている部屋(個室)には、よくそんな漆喰塗りの跡があったものでしょう。

この二行目には、自分もそのような役人になってしまっているのかという感懐、静かな嘆きと、また自分はそんな漆喰のような存在であるのか、一時凌ぎの解決のための、という、これもまた静かな嘆きの声でありましょう。




【ショーペンハウアーの箴言34】歴史とは何か?


【ショーペンハウアーの箴言34】




【原文】


Die Geschichte ist die Fortsetzung der Zoologie.



【和訳】


歴史とは、動物学の進歩のことなのだ。



【解釈と鑑賞】

これもまあ、辛辣なショーペンハウアーの箴言です。辛辣なので、辛言と書きたい位です。


ドイツ語では、ここでZoologieという外来語を使っていますが、Tierkundeと、本来のドイツ語、日本語でいうならば大和ことばでいうと、一層よく意味がわかります。

即ち、ショーペンハウアーは、人間を動物と考えていて、場合によっては、動物園に棲んでいるとすら(そうはいっておりませんが)いい得ることでしょう。

しかし、動物学と言ったところ、即ち学としての進歩だといったところに、ショーペンハウアーの面目躍如たるものがあります。

即ち、動物学は進歩しますが、人間は進歩するかどうかは何も言っていないのであり、あるいはむしろ全く進歩のない動物だとさへ、言っているのかも知れません。







2014年9月13日土曜日

【カフカの箴言33】殉教者と敵対者



【カフカの箴言33】


【原文】


Die Märtyrer unterschätzen den Leib nicht, sie lassen ihn auf dem Kreuz erhöhen. Darin sind sie mit ihren Gegnern einig.


【和訳】

殉教者は、体を低く評価はしていない。彼等は体を十字架の上で高めるのである。ここにおいて、殉教者は、その敵対者と一つになるのだ。


【解釈と鑑賞】


最後の一行は、敵対者も、殉教者を十字架に架ける事で、自らを高い位置におく、高めるということを言っているとも読めますし、殉教者が十字架の刑に処されて、高いところに掲げられたときに、殉教者のそのような願いを叶えることになるので、そこで一緒になるのだとも読むことができます。

カフカが殉教者を想像することには、何かがあるのでしょう。


【ショーペンハウアーの箴言33】記憶力は篩(ふるい)である。


【ショーペンハウアーの箴言33】




【原文】


Unser Gedaechtnis gleicht einem Siebe, dessen Löcher anfangs klein, wenig durchfallen lassen, jedoch immer größer werden und endlich so gross sind, dass das Hineingeworfene fast alles durchfällt.



【和訳】


我々の記憶は、篩(ふるい)に似ている。その穴が最初は小さくて、少しだけ通して落とすわけであるが、しかし、その穴は段々と
大きくなって、遂には、投げ込まれたものが、ほとんどすっかり落ち抜けてしまうほどになるのだ。


【解釈と鑑賞】

これは、歳を取るに連れて、記憶力が悪くなるということの例えであろうか。

全く、実感である。




2014年9月6日土曜日

【カフカの箴言32】鶴が天に飛翔することの意味は?



【カフカの箴言32】


【原文】


Die Krähen behaupten, eine einzige Krähe könnte den Himmel zerstören. Das ist zweifellos, beweist aber nichts gegen den Himmel, denn Himmel bedeuten eben: Unmöglichkeit von Krähen.


【和訳】

鶴たちは、こう主張する。唯一の、比類なき鶴であれば、天を破壊することができるかも知れないと。これは、疑いないことだが、しかし、天に対して何も証明するものではない。というのも、天とはまさしく次のことを意味するからである:鶴たちの持つ不可能性


【解釈と鑑賞】

カフカの住んだ土地にも、鶴がいたのだろうか。

或いは、いなかったとしても、鶴をどのように考えていたかを考えることはできる。

わたしにとっての鶴の形象(イメージ)は、美しい鳥であるというもので、破壊とは無縁の鳥だが、カフカにとっては、どうも少し違うようである。

天を、或いは天国を破壊すると考える鶴なのだ。

ここで、わかることは、カフカの鶴とは、

1。天高く飛べるということ
2。破壊する能力を持っていること

このふたつが、鶴という言葉の中にあるということだ。

カフカがここで言っていることは、何か働きかけようというその対象に対して、その働きかける者は、それが正しいことだと証明しなければならないということである。

鶴にはそれができない。何故ならば、天高く飛ぶということ、その能力そのものが、鶴たちのその能力の無さ、鶴達の不可能性を意味しているからだ。

これは、地上のわたしたちに、翻って、この考えを適用することができる。

地上に人間がいようとすることそのことが、既にそうしていることの無意味、不可能性を示しているのだということになるだろう。

カフカというひとのものの考え方の好適な例が、この箴言だと思う。


【ショーペンハウアーの箴言32】動物を以て、人間の同情心を測る


【ショーペンハウアーの箴言32】




【原文】


Mitleid mit den Tieren hängt mit der Güte des Charakters so genau zusammen, dass man zuversichtlich behaupten darf, dass, wer gegen Tiere grausam ist, kein guter Mensch sei.



【和訳】


動物に関する同情は、性格の有する親切心(同情)と、かくも厳密に関係しているのであるから、動物に怖気(おぞけ)をふるう者は、よき人間ではないと確信して、そう主張することが許されるのだ。



【解釈と鑑賞】

人間への同情を人間によってではなく、動物によってそうだというのは、いかにも辛辣なるショーペンハウアーである。