2012年10月6日土曜日

埴谷雄高論5(三輪與志の「自同律の考究」)


埴谷雄高論5(三輪與志の「自同律の考究」)

死霊の中で、三輪與志は「自同律の考究」という論文を書いている。

その内容を構成する具体的な、論文の中の文を今、思うままに作中から拾って来て、後日の備忘としたい。この論文の中身を復元するためである。

わたしの手元においている本は、「埴谷雄高全集3」(講談社)である。

1。第1章 癲狂院にて
(32ページ):黒川健吉との対話

ーーー三輪が論文を書きはじめていると矢場が云っていた ……。
ーーー書いている『自同律の考究』という表題だ。

ぽつりと不快そうに三輪與志は答えた。その三輪與志の肩へ殆ど触れるほど近く、黒川健吉は寄り沿ってき

ーーー存在は不快を噛みしめなければならないのだろうか、三輪。
ーーーそう。そうかも知れない。…… 俺は不快だと云っているだけだ、先刻から ……。

(55ページ):岸博士との対話
ーーーふむ、貴方も自己意識の延長外に出てみたい一人なのでしょうか。それが、それほど魅力的な課題ですかしら。ですが、…… 私は精神病医として敢えて断言しますが、自己が自己の幅の上へ重なっている以外に、人間の在り方はないのです。
ーーーそれは、不快です。
と、三輪與志はぽつりと云った。
ーーー不快 ……。私はひょっと想い出したのですが、…… 間違ったら失礼 …… 自同律に関する論文を、貴方は書かれなかったしょうかね。もうかなり前で ……そう、社会的な運動が盛んな頃で、誰も注意しなかったようでしたが、私はかなりはっきり記憶しています。

(ここからあと、58ページまで、岸博士と三輪與志の対話が続き、虚体を論ずる。)

2。第9章 <<虚体>>論ー大宇宙の夢
(851ページ)
ここに岸博士の理解する虚体論が展開されている。このページ以降、話者を変えながら虚体論が続く。

(852ページ)岸博士の言葉
(略)一昨日の夜につづいて、昨夜もまた私は古い雑誌を書棚の奥から取り出して、三輪君の『自同律の考究』を繰り返し読んでみました。そして、そのとき、これまで思いいたらぬ深さで特に昨夜私の気をひいた三輪君の章句は、僅かに短いつぎのような言葉でした。

 存在が思惟するときのひそやかな囁きを聞こう。それはそこに自身を見出だし得ない呻きではないのか。


(866ページ):津田安寿子の質問に対する黒服の男の回答
(略)お嬢さん、御存じでしょうか。與志君の『自同律の考究』の記述のなかの詩の一つは、こういうものです。
  <<自己疎外>>。墓地の木魂のごとく気味悪く去りやらぬその影よ。

(この稿続く)


0 件のコメント:

コメントを投稿