2015年4月30日木曜日

【カフカの箴言68】家の神、山の神、アパートメントハウスの神



【カフカの箴言68】


【原文】

Was ist fröhlicher als der Glaube an einen Hausgott!


【和訳】

家齋の神を信ずる信仰以上に喜ばしく楽しいことはないのだ!


【解釈と鑑賞】


家齋の神と訳しましたが、このような神がチェコのプラハにゐましますのであるかだうか。

それとも、われらが山の神というやうなものであるのかどうか。

それとも、カフカの住んでいたアパートメントハウスというハウス(家)の女主であるのか。


【ショーペンハウアーの箴言68】犬と哲学者


【ショーペンハウアーの箴言68】


【原文】

Wenn es keine Hunde gäbe, wollte ich nicht leben.


【和訳】

もし犬がいなければ、わたしは生きたいとはおもはないことだらう。


【解釈と鑑賞】

ショーペンハウアーは犬が好きでした。

フランクフルト・アム・マインで過ごす晩年は、アートマンというサンスクリット語の名前をつけて、街中を散歩しておりました。

アートマンとは、梵我という言葉の我という意味です。梵我の梵は、ブラフマンということです。

宇宙原理「ブラフマン」と個体原理「アートマン」が本質において同一であると、瞑想の中でありありと直観することを目指すのが梵我一如の思想というのだそうです。[http://user.numazu-ct.ac.jp/~nozawa/b/bonga.htm]



【ショーペンハウアーの箴言68】現実の王国と思考の王国


【ショーペンハウアーの箴言68】


【原文】

Im Reich der Wirklichkeit ist man nie so glücklich wie im Reich der Gedanken.


【和訳】

現実の王国では、人は、思考の王国の中にいるようには幸せではない。


【解釈と鑑賞】

これも註釈不要の箴言です。

この対比は、前者の現実の王国という言葉の王国を、一度通して読み、振り返ると、実に皮肉に見せています。


後者の王国が、やはり言葉通りの王国であると思われる。

【カフカの箴言67】スケート靴をはいた初心者のように走るとは



【カフカの箴言67】


【原文】

Er läuft den Tatsachen nach wie ein Anfänger im Schlittschuhlaufen, der überdies irgendwo übt, wo es verboten ist.


【和訳】

彼は、事実その通りに、スケート靴をはいて走る初心者のように走るが、この初心者は、その上にまた、禁止されているところであれば何処ででも、その練習をするといった塩梅なのだ。


【解釈と鑑賞】


これは、あるいはカフカ自身のことを言っているのかもしれません。

そうでなければ、同じ保険会社の同僚の姿を書き留めたということになります。


あるいは、近所の隣人の噂話であるか。

【ショーペンハウアーの箴言67】人間の話すことは......


【ショーペンハウアーの箴言67】


【原文】

Vermöge seiner Bildung sagt der Mensch nicht, was er denkt, sondern was andere gedacht haben, und was er gelernt hat.



【和訳】

人間は、その教養と教育の力によって、自分の考えることをいうのではなく、他の人間たちが考えたことを口にするものなのであり、そして、何を学んだかを口にするのものなのである。


【解釈と鑑賞】

これは、このまま理解すると、教養の形成や、そのための教育などというものの無効、無策、無駄を言っているように聞こえます。

この哲学者のことですから、そうとっても間違いでは全くないでしょう。


2015年4月13日月曜日

【カフカの箴言66】地上と天国の頚城(くびき)

【カフカの箴言66】


【原文】

Er ist ein freier und gesicherte Bürger der Erde, denn er ist an eine Kette gelegt, die lange genug ist, um ihm alle irdischen Räume frei zu geben, und doch nur so lang, dass nichts ihn über die Grenzen der Erde reissen kann. Gleichzeitig aber ist er auch ein freier und gesicherter Bürger des Himmels, denn er ist auch an eine ähnlich berechnete Himmelskette gelegt. Will er nun auf die Erde, drosselt ihn das Halsband des Himmels, will er in den Himmel, jenes der Erde. Und trotzdem hat er alle Möglichkeiten und fühlt es; ja, er weigert sich sogar, das Ganze auf einen Fehler bei der ersten Fesselung zurückzuführen.


【和訳】

彼は、この地上で自由であり且つ安全を保障された、地上の市民である。といふのは、ある鎖につながれてゐて、その鎖は、すべての地上の空間を彼に与えるに十分であるからであり、しかし、その長さは、地上の数ある境界を越えない限りに於いて十分な長さであるのだ。しかし、同時に、彼はまた、自由であり且つ安全を保障された、天国の市民でもあるのだ。といふのは、同様に計算された天国の鎖につながれてゐるからである。もし彼が地上に行きたいと思へば、天国の首輪が彼の首を絞め、もし天国に入りたいと思へば、地上の首輪が同じことをするからである。そして、それにも拘はらず、彼は、すべての可能性を持ってをり、このことを感じてもゐるのだ。何故ならば、そう、最初に頚城(くびき)を受けたときに、この全体を、一つの失敗のせいに帰着せしめることを拒否さへするからである。


【解釈と鑑賞】

灰色の領域に棲む人間の日常を描いた散文です。

「その鎖は、すべての地上の空間を彼に与えるに十分である」といふ意味は、鎖がついてゐるが、この男が歩き廻はり動き廻はる範囲では、その鎖は十分に長いので意識されないといふのです。

すべての可能性があるといふこと、これが灰色の世界棲むんでゐるといふことである。

これが、愚かな人間の現実の姿であることを、カフカは見抜いて、このような散文に仕立てたといふことになります。




【ショーペンハウアーの箴言66】遊牧生活と観光生活


【ショーペンハウアーの箴言66】


【原文】

Das Nomadenleben, welches die unterste Stufe der Zivilisation bezeichnet, findet sich auf der höchsten im allgemein gewordenen Touristenleben wieder ein. Das erste ward von der Not, das zweite von der Langweile herbeigeführt.


【和訳】

遊牧の生活というもの、これは文明の最下層であるが、それが、最高度の、一般的になった観光の生活の中に再び現れている。前者は、欠乏により、後者は、退屈によって、招来されたものである。


【解釈と鑑賞】

これも、ショーペンハウアーらしい、当時の観光の隆盛をみての観察を箴言にしたものです。

ショーペンハウアーらしいといふのは、最下層の狩猟遊牧の生活というものと、最高度の、全く無為の観光旅行という暇つぶしを対比させたことです。

しかし、果たして遊牧生活が文明の最下層かどうか、確かに文明という都市生活の定住生活からみると原始的な生活にみえるでせうが、文明や都市生活と切り離して、また別の物事との関係で考へたときに、それが最下層かだうかは、別の話です。

後者の場合には、文明と都市生活が最下層といふことになるかもしれません。

2015年4月9日木曜日

【ショーペンハウアーの箴言65】私たちは夕方には貧しくなっている。一日分だけ。

【ショーペンハウアーの箴言65】


【原文】

Jeden Abend sind wir um einen Tag ärmer.


【和訳】


毎晩、わたしたちは、一日づつ、貧しくなっている。


【解釈と鑑賞】

意味深長な一行です。

普通は、毎日その分だけ、年をとるというところでしょう。

しかし、毎晩、その一日の分だけ、その昼間の分だけ、貧しくなっているというのです。

これは、一体何を言っているのでしょうか。

毎晩とは、一日が終わるたびに、と解釈することもできます。そう解釈すると、一日を終えると、その一日分岳、貧しいという意味になります。

しかし、何故昼の一日を経ると貧しくなのか。

反対の一行を作ってみましょう。

Jeden Morgen sind wir um eine Nacht reicher.

毎朝、わたしたちは、一夜の分だけ、豊かになる。

とかうしてみると、やはり今回の箴言の毎晩とは、晩とは訳しましたし、それは間違っていないのですが、正確には夕暮れの時間、即ち一日の終わりを意識する時間であり、そのあとの夜に移る移行の、間(はざま)の時間ということになります。

一夜眠ると、わたしたちは、その分、その時間の分だけ、豊かになっているのでしょうか。それを、ショーペンハウアーはいっておりません。

それとも、今回の箴言の意味は、やはり貧しくなるのは、夕方である、その日の晩であると言っているのでしょうか。

この哲学者にあって、真意を尋ねたいものです。

あるいは、これから見て行く箴言の中に、この箴言に関係のある箴言が出てくるかも知れませんので、その折に、またこの一行に戻って考えてみることにしませう。








2015年4月5日日曜日

【カフカの箴言64ー2】真理としかめっ面

【カフカの箴言64ー2】


【原文】

Unsere Kunst ist ein von der Wahrheit Geblendet-Sein: Das Licht auf dem zurückweichenden Fratzengesicht ist wahr, sonst nichts.


【和訳】

わたしたちの藝術は、真理によって眩惑されて在るものである。即ち、退(ひ)いて行く(退却して行く)しかめっ面の上の光が、真理なのであり、それ以外は、無である。



【解釈と鑑賞】

カフカらしい箴言です。

しかめっ面であるのは、太陽の光があたって眩しいからです。

まぶしいのは、太陽が真理だからで、真理は太陽であるからです。

それ故に、人は、その顔を太陽から退くようにします。それが、

退(ひ)いて行く(退却して行く)しかめっ面、という言葉の意味です。

その光が真理であり、それ以外は何ものでもない、無であると言っております。





【ショーペンハウアーの箴言64】人生の智慧


【ショーペンハウアーの箴言64】


【原文】

Ein wichtiger Punkt der Lebensweisheit besteht in dem richtigen Verhältnis, in welchem wir unsere Aufmerksamkeit teils der Gegenwart, teils der Zukunft widmen, damit nicht die eine uns die andere verderbe.


【和訳】


人生の智慧の重要な点は、わたしたちが、その注意を、あるときは現在に、あるときは未来に捧げる其の正しい比率の中にあるのであり、それによって、一方が他方を腐敗させることのないようにするということが肝要な点なのだ。


【解釈と鑑賞】

これも、この通りの箴言でありませう。

未来に期待をかけすぎず、目の前のことにも信頼をし過ぎることなく、均等に考量すること。

と、こう書いてきても、なかなかむつかしいことだとわかります。

というのは、人間は時間の中に生きているからです。

としてみれば、この一行を書くことのできたショーペンハウアーは、時間の外にゐたのです。

そうして、やはりそのような心がけで主著『意志と表象としての世界』を書いたのでしょう。

この主著の最後の言葉は、すべて何もかも、天上の銀河も、すべては、無、と書いて終わっています。

上の一行は、無について考えよと言っているのです。そうすれば、そのことは可能であると。