2014年11月30日日曜日

伊藤文學さんのパーティー

昨日渋谷の画廊で伊藤文學さんのパーティーが開かれたので、30人の中にお招き戴いて、行ってまいりました。

これは文學さんの先妻の伊藤ミカさんの前衛舞踏家としての当時の資料が見つかったので、それを公開して展示し、お祝いの席としたものです。

0嬢の物語など3つの踊りの作品に宇野亜喜良がポスターを描いている。これらも展示されておりました。

目的は、3つ。

1。宇野亜喜良さんにお目にかかること。
2。1960年代という当時のこのような舞踏を生んだ時代の熱気を直に資料に当たって読み取ること。
3。文學さんに久闊を叙すること。

最初の1は、宇野亜喜良さんの奥さんより電話あり、歯を抜いて、調子よからずとて、出席のなかったのは残念なり。

あとの2つは、十分に堪能しました。

この1960年代は、土方や大野といふ有名な舞踏家たちも活躍した時代。それ以外にも、多くの情報が、東京からわたしの住む北海道の文化果つる地にも届いておりました。

振り返れば、1960年代は、北海道にいたころの、わたしの中学高校生の時代です。

入り口すぐに入った机の上には、やはりと思いましたが、三島由紀夫特集の月刊誌もおかれていて、それはやはり薔薇族とは関係があるよなあと、期待した通りの画廊の用意でありました。

安部公房は、伊藤ミカさんにはご縁がなかったように見えます。

文學さんが伊藤ミカという女性に夜汽車で出会ったというのも、何か当時の様子が偲ばれます。仙台の七夕祭りの満員電車の中でのことだっとのことでした。これは、これで、逸話の連続の文學さんのお話で、誠に興味が尽きない2時間、あっという間に過ぎてしまった。ご興味ある方は、文學さんの『裸の女房』をお買い求めください。


久し振りで飲んだイタリア(と勝手に思っている)の赤は美味かった。

2014年11月29日土曜日

【カフカの箴言45】我なる馬に馬具をつけよ



【カフカの箴言45】


【原文】


Lächerlich hast du dich aufgeschirrt für diese Welt..


【和訳】

哀れなことに、お前はこの世のために、自分自身を馬に譬(たと)へていうならば、馬であるお前に馬具をつけたのだ。


【解釈と鑑賞】


世の中で生きることを、このように言ったカフカの心情は、おかしなものではありません。

まあ、馬に自分を例えるというところが、わたしたち日本人とは一寸感覚が異なります。

DTVの出した短編集で、オフィス(事務所)を主題にした短編小説を集めたものの中に、カフカの短編があり、階上の事務所の窓かヴェランダの窓を開けていて、遠くから馬車の響いてくる音を書いたものがありました。

また、同じ短編集でありましたか、馬に乗って疾駆するインディアンの人形
を書いた数行の短文があって、きっと何かの仕掛けで馬が上下か前後に動くようになってるのでしょう、そのインディアンの乗る馬の首が、次第に消滅していくというのがありました。首がなくなったときには、インディアンは馬ではない馬に乗っていることになる、ある時制を使った複雑な文章でした。

馬は、カフカに何かを教えた、そのような動物なのでしょう。



【ショーペンハウアーの箴言45】信仰と無信仰:愛と国家と政策と


【ショーペンハウアーの箴言45】信仰と無信仰:愛と国家と政策と




【原文】


Der Glaube ist wie die Liebe: er lässt sich nicht erzwingen. Daher ist es ein missliches Unternehmen, ihn durch Staatsmaassregeln einzuführen, oder zu befestigen zu wollen: denn, wie der Versuch, Liebe zu erzwingen, Hass erzeugt; so der, Glauben zu erzwingen, erst rechten Unglauben.


【和訳】


信仰は、愛のようなものである。即ち、それは強制されない。従い、信仰を、国家の政策によって導入しようとし、又は固定して確実なものにしたいというのは、危険な企てである。何故ならば、愛を強制する試みが、憎しみを生み出すように、従い、信仰を強制する試みは、まさしく本物の無信仰を生み出すのであるから。


【解釈と鑑賞】


この哲学者の信仰に関する考えを述べたものです。国家と信仰と言い換えてもよいでしょう。

信仰の元になっているものを、愛と呼んだところに、この辛辣な哲学者が何を普段考えていたか、その当たり前のこころが現れています。

これによっても、あの浩瀚なる主著『意志と表象としての世界』を書いたのです。







2014年11月22日土曜日

【カフカの箴言44】猟犬と獲物



【カフカの箴言44】猟犬と獲物


【原文】


Noch spielen die Jagdhunde im Hof, aber das Wild entgeht ihnen nicht, so sehr es jetzt schon durch die Wälder jagt.


【和訳】

未だに、猟犬は庭で遊んでいるが、しかし、猟獣(獲物)は猟犬から逃げては行かないし、猟獣の方が今ではすでに森という森を走り抜けて狩りをしているほどに、そうなのだ。


【解釈と鑑賞】


これは、現実の何かを分析したカフカが、それを歴史的、伝統的な狩りの世界でのことに変換して書いた一文です。

庭と訳したのは、だれかの山城か、宮殿か、また平地の城館の中庭か前庭であって、そこに猟犬が集められているのでしょう。

そのような現実を思い描いた。

しかし、猟犬の目的である獲物を追うということを、猟犬はしないでいる、遊んでいる。他方、その間に、獲物の方が狩りをしているというのです。


【ショーペンハウアーの箴言44】自分の頭で考える者と、独善の説をなす者と


【ショーペンハウアーの箴言44】




【原文】


Zum Denken sind wenige Menschen geneigt, obwohl alle zum Rechthaber.


【和訳】


考えることに傾く(好きな)人間は少ない。もっとも、すべての人間は、自説が正しいと常に主張する独善に対して傾く(好きな)ものであるが。


【解釈と鑑賞】


自分の頭で思考する人間は、本当に少ないものです。これを毎日励行したら、どれほどの人間になるかと思います。

他方、自説を頑固に主張して譲らない独善家を、自分の頭で考える少ない人間に対して対置させ、前者はみなそうだといい、後者を一掃際立たせています。







2014年11月16日日曜日

【カフカの箴言43】嘔気と憎悪を制禦する



【カフカの箴言43】


【原文】


Den ekel- und hasserfüllten Kopf auf die Brust senken.


【和訳】

吐き気で一杯の、そして憎しみで一杯の頭を、胸に沈めること。


【解釈と鑑賞】


そうすれば、吐き気や憎しみが表には出ず、人にも知られずに、自分の中だけで、何とかできるという意味なのでしょうか。

それとも、実利的に、このような姿勢をとれば、嘔気や憎悪を制禦できるという意味なのでしょうか。


カフカにも、このつらいことがあったということなのでしょう。

【ショーペンハウアーの箴言43】青春と老年:人生の長さと短さ


【ショーペンハウアーの箴言43】




【原文】


Vom Standpunkt der Jugend aus gesehn, ist das Leben eine unendlich lange Zukunft; vom Standpunkt des Alters aus, eine sehr kurze Vergangenheit.



【和訳】


青春の立場から眺めると、人生とは、ひとつの無限に長い未来えある。老年の立場から眺めると、人生は、ひとつの非常に短い過去である。


【解釈と鑑賞】


これも解釈不要の一行です。

この一行を書いたショーペンハウアーの年齢が知りたいものです。

この一行を、ひょっとしたら、ショーペンハウアーのことですから、20代で書いていたのかも知れません。






2014年11月8日土曜日

【カフカの箴言42】数と世界



【カフカの箴言42】数と世界


【原文】


Das Missverhältnis der Welt scheint troestlicherweise nur ein Zahlenmäßiges zu sein.


【和訳】

世界の不都合、不適当、不和であるのは、慰めになることではあるのだが、それが、ただ数に従っているということであると見える。


【解釈と鑑賞】


保険の世界にゐたカフカの言葉らしいと思ひます。また、或いは、もっと本質的に数を考えてゐると考へてもよいと思ひます。


確かに、そうです。文学の世界から眺めれば。

【ショーペンハウアーの箴言42】青春と老年


【ショーペンハウアーの箴言42】青春と老年




【原文】


Der Grundunterschied zwischen Jugend und Alter bleibt immer, dass jene das Leben im Prospekt hat, dieses den Tod.



【和訳】


青春と老年の根本的な相違は、いつも、前者はこれからの展望の中に人生を有し、後者は死の中に人生を有するということである。


【解釈と鑑賞】


これも解釈不要の一行です。

しかし、前者は死を有し、後者はこれからの展望を有すると、このやうに引っくり返へすと、何か一層今日的な感じがします。





2014年11月3日月曜日

【カフカの箴言41】最後の審判と軍法会議



【カフカの箴言41】最後の審判と軍法会議


【原文】


Nur unser Zeitbegriff lässt uns das Jüngste Gericht so nennen, eigentlich ist es ein Standrecht.


【和訳】

ただ我々の時間概念だけが、私たちをして最後の審判と呼ばしめるのであるが、そもそも、それは、軍法会議なのである。


【解釈と鑑賞】

この場合のカフカのいう時間概念とは、一次元の時間のことを言っています。


安部公房と同じように、カフカもキリスト教の週末思想について考えたものと見えます。


軍法会議の形象(イメージ)は、やはり戦場にあって、陣中で、軍規を乱したもの、違反したものを裁くという形象であり、同時にそれは、カフカがこの世の、一次元で流れる時間の中で働いていて、保険会社の有能な会社員として、どのように仕事というものを考えていたのか、それがやはりどれほどに苛烈であったかを示しています。

【ショーペンハウアーの箴言41】不幸と年齢


【ショーペンハウアーの箴言41】不幸と年齢




【原文】


Im Alter versteht man besser, die Unglücksfälle zu verhüten, in der Jugend, sie zu ertragen.



【和訳】


年をとると、不運の出来事を予防し、回避することを、よりよく理解するようになるものだが、これに対して、若いときには、その不運の出来事に堪えることをよりよく理解するものだ。


【解釈と鑑賞】


一寸直訳調で訳しましたが、言いたいことは、よく分かります。

若いときには、堪えることのみ多く、年をとると、堪えるのではなく、つまり正面から当たるのではなく、もう既に予測をして、これを回避することができるようになるという意味です。

確かに、その通りです。