2012年10月28日日曜日

古代ローマの筆記用具(蝋板)とiPadの類似性



古代ローマの筆記用具(蝋板)とiPadの類似性



テルマエ•ロマエの漫画で有名なヤマザキマリさんのテルマエ戦記という、テルマエ•ロマエが当たってから押し寄せて来た現実と戦う奮闘記を読んでいたら、そこに古代ローマの筆記用具が出て来ました。

写真をみると、全くiPadと変わらない。何か、ペンタッチ付きのiPadというようなものです。

やはり、古代ローマ人も携帯に便利で、思ったことを備忘として記録する道具を必要としていたのでしょう。

まさか、電気というものが発見されて、それを国家が社会基盤を整備して、だれでもどこにいてもこの蝋板が使えるようになっている時代が来るとは、ローマ人は想像だにできなかったこでしょうけれども。

2012年10月22日月曜日

埴谷雄高論6:死霊の文体について

埴谷雄高論6:死霊の文体について

今手元にその資料がなく、一体何で読んだのかも記憶にないのであるが、中村真一郎が埴谷宅を訪れて、その書架に緑の背表紙のジャン・パウル全集をみて、あっ、埴谷雄高はジャン・パウルなのだと直観したことの書いてある文章を読んだことがあります。

この中村真一郎の直観は正しいとわたしも思っています。

死霊を読んでいて、その時間の無さ、物語の進行しないそのしなさは、ジャン・パウルの文体と同じであり、このような文体の根底にある精神は、ジャン・パウルに一脈通じているのだと思います。

それは、時間を捨象して、空間的な世界を造形したいという願望です。

これに加えて、もうひとつ、埴谷雄高は意識しなかったと思いますし、誰もこのことを言っておりませんが、その願いと併せて実現したそのネスト構造(入れ籠構造)の息の長い文体は、国や言語を超えて、明らかに埴谷雄高がバロック様式の作家であることを示しています。

バロック様式とは、17世紀のヨーロッパ、ドイツが諸国に蹂躙された30年戦争の起きた時代の様式で、その時代からいっても、人間が今日在ることが明日は無いかもしれない、自分は今日生きているが明日は死ぬ事があると考えたことから生まれた様式です。

その文章上の様式、即ち文体においては、ネスト構造(入れ籠構造)の重畳の息の長い文体でありました。そうして、もうひとつの特徴は、グロテスクであることを厭わないということです。

安部公房を発見した埴谷雄高は、自分と同じ主題を探究する若い作家を発見したということの他に、やはり、上に述べた死生観から言って、ともに自分自身を未分化の状態におくという、そのような物と考え方と態度に共感を覚えた筈です。

埴谷雄高には、重畳な文体が、他方、安部公房には、グロテスクネスが、日本語の世界に生まれたということになるでしょう。

安部公房とバロック様式については、次のURLアドレスへ。

http://abekobosplace.blogspot.jp/2012/10/blog-post_22.html




2012年10月19日金曜日

わたしの読解の方法

わたしの読解の方法

わたしのテキストを読む方法は、ただただ虚心坦懐にテキストを、文字を読むということである。

そうして、そこに作者のものの考え方や、その人がどういう人間なのかを読みとる。

それは、とても大切なことである。

安部ヨリミの「スフィンクスは笑う」のテキストを読んで、そこにあったものを発見し、同じ小説をほかの幾人ものものひとたちが四ているのに、全く気が付かない発見であったことを不思議に思っているうちに、やはり再び上のことを思うのである。

眼の前に宝石がぶら下がっているのに、人間という奴はそれが目に入らないのだ。

それ以外のほかのことにばかり目が行ってしまう。

それは、自分のことばかり考えるからだ。自分のことしか考えないから、眼の前の輝く宝石が目に入らずに、それ以外の表層的な、どうでもよいものごとばかりに気がとられるのである。

自分の言葉をどこから発するか、作者の言葉をどれ位深く理解するのか、これらのことは深く関係していて、結局、読者であるわたしがわたし自身を知るという恩恵をこうむるのである。

これが読書の醍醐味、テキストを読む醍醐味だと、わたしは思う。

2012年10月12日金曜日

その人の分(ぶ)について

その人の分(ぶ)について


その人が決して狂うことなく居られる領域のことを領分といい、その人の分というのだ。

2012年10月11日木曜日

猿は金なり:monkey is money.

猿は金なり:monkey is money.

Money is monkey, Monkey is money.

Time  is moneyとはよく言われることだが、わたしの場合は何故か、monkey is moneyなのである。

何故か、いつもmoneyという文字をみるとmonkeyと読んでしまうのだ。そうして、文章の意味がとてつもなく非現実的な、奇妙奇天烈な文脈に迷い込むことになって、しばらくしてから錯視であることに気づく。ああ、猿ではなくお金のことなのだ、と。

猿は金なり。

しかし、これは案外に深淵な真理かも知れない。

何しろ、簡単には捕まらない、人間の好き勝手にはならない、それは丁度人間自身の姿のようであり、しかも、愚かな劣った人間の譬喩(ひゆ)としても秀逸だ、それに猿知恵というように、猿だと思って馬鹿にしていると却(かえ)って人間より悪知恵も働くかも知れない。お金も生き物である。

猿がお金だと思うことは、何か滑稽を伴う感情を喚起する。猿がお金だ、お金が猿だと思うと、お金に対して何かこうがっかりする感じ、幻滅の感じもあるのではないだろうか。

時間はお金であるという西洋、白人種の、確かこれはアメリカの建国の草創期のベンジャミン・フランクリンの言葉でありましたが、あくせくするその箴言よりも、猿はお金であるという方が何か東洋的な、支那の国の朝三暮四という逸話を思い出したりして、お金が人間の欲望の反照として、なかなかしみじみと味わい深いものを感じます。

一体moneyの間にあるkとは何なのだろうか?

多分、人間の欲望なのだろう。人間の欲望定数。



文法書を読むということ

文法書を読むということ



ドイツ語の文法書を読むのが好きだ。これを読むと頭の中が整理整頓されて、実にすっきりする。

英語の文法書もよし、それからサンスクリット語の文法書もよし。

結局、文法書を読むことで何を想い出すかというと、思考とは規則の集合だという平々凡々たる事実を想い出すのであり、このことがわたしのこころに安らぎをあたええてくれるのだ。


2012年10月10日水曜日

どうしても記憶することができない難しい外国人の名前

日常仕事で接しているにもかかわらず、どうしても記憶することができない難しい外国人の名前(姓名の姓)に次のような名前があります。

Filizfidanoglu
Moczijdlower
Fridtjof

それぞれドイツに住み、ポルトガルに住んでいる人たちですが、出自は多分それらの国の外にあるものと思われます。

こうしてみると、わたしの記憶できない理由は、やはり、子音+母音という組み合わせの音ばかりでできているのではなく、子音が連続的に続いていて発音がしにくく、それ故に記憶に残らないのだろうということです。


あたなにとってのこのような名前には、どのような名前があるでしょうか。



2012年10月8日月曜日

椎名麟三を読んで思うこと


椎名麟三の短編集を読んでいる。

実にどれも面白い。少しも古くない。安部公房が椎名麟三という人間を好いた理由もわかるように思う。

そうして、この共産党員であったことのある椎名麟三の小説を読んで思う事は、大東亜戦争の経験から、結局戦後の共産主義者を始めとする左翼は、同じ間違いを犯したということである。

それは、命令に絶対的に従うことが、実にその人間を陶酔させるという、この人間の弱点ともいうべき性格(性格?この言葉の選択は正しいか?吟味の要あり)であるということだ。

人間は確かに、その組織とともに、一方の極から他方の極に、振り子のように触れるものである。これは、如何ともし難い、抗い難い運動である。

大事なことは、その運動の外に居るということである。

そこが文学の世界だと、わたしは思う。それは、一言でいうと、苦しみに負けてはならないということである。苦しみの代償に他のものを求めてはならないということである。

それ故に、わたしは、愚かな日本国民よ、愚かな日本人よということができるのだ。勿論、わたし自身を含めてであるが。

東京の下町を歩く



東京の下町を歩く













2012年10月6日(土曜日)に、旧友二人と上野駅の公園口出て直ぐ左にある小さなテラスのカフェで待ち合わせて、東京の下町をのんびりと散策するということをした。

かねて楽しみにしていた計画である。

そのカフェで待ち合わせるのは、勿論そこで、待っている間に、ビアが飲めるからです。

さて、ゆっくりと上野恩賜公園を通って、中にあるMカフェを更に通って、下町を散歩しました。

上野公園では、民謡と踊りの環ができていて、その踊りの輪に黒い人も白い人も混じって、楽しそうに踊っておりました。民謡の楽の音を聴くと、自分が日本人であること、そうしてそのゆったりとした旋律に身を浸していると、日本人に生まれてよかったという思いが致します。この写真を上梓します。

さて、その次に、やはり、これは、上野音楽学校の先生と生徒の奏する古式豊かな雅楽が、街中の小さな空間、今は記念館となった酒屋の前から聞こえて来ました。甘酒をすすりながらしばし聴いたことでした。横笛、笙、小さな縦笛(正しい名前があることと思います)の奏楽です。この写真を上梓します。古代のままの衣装を身につけて、演奏していました。

そのあとは、岡埜栄泉という和菓子屋さんで、豆大福を買いました。この大福は、わたしが30歳のときに広尾辺りの支店で買って、初めて口にして、余りの美味さに驚いた大福です。それ以来ずっと記憶に残り、こころに残っていた大福の本店がここにあるとは知りませんでした。やはり、美味い大福で、誠に幸せ、満足の歩行、道行きです。

更に歩くと、谷中の墓地を通ります。その塀から余って覆い被さるような、これは柑橘類の木がありました。その写真を上梓します。

同じ道筋に、オッペケペー節の川上音二郎の、今は銅像は戦時中の供出にて無くなったものの、その台座だけがあり、その写真を上梓します。

この歌詞を読むと、今でも全然古びていないことに驚きます。むしろ、このような節廻しと風刺の歌詞は、牧伸二で終わり、その後の後続がないのではないかと思います。この流れの復活を願いたい。

段々と谷中の商店街、谷中銀座に近づきますが、その少し手前で、築地塀の古い家がありましたので、ご覧下さい。これぞ、江戸という感じがします。

さて、谷中銀座の手前で、広場あり、そこで休日とて御祭りのことあり、太鼓の一座が太鼓をならしている、それを眺める、次の出番待ちのフラダンスの女性達の写真です。おでんという旗のそばで出番を待つというのが、何ともいいものです。こんな光景はハワイにはないことでしょう。

谷中銀座に入り、有名なメンチカツ屋さんでメンチカツを買い、その隣りにある酒屋でワンカップの樽酒菊正宗を手にして、酒屋の隣りの場所に、一升瓶の通い箱を逆さにして並べてある椅子に座って、往来を眺めながら、メンチを肴にやりながら酒を昼間から飲むという、非常に贅沢なる時間を過ごしました。極上の時間です。

午後の4時になったとて、日暮里駅ビルのさくら水産にしけこみ、まだ少し日の明るいうちから、次の酒を飲む仕儀とは相成りました。写真は、さくら水産に入る前の跨線橋からみたスカイツリーです。

跨線橋から眺めて、線路を写しましたが、向かって左が山の手、右が下町という、その分かれ目が、この写真です。

いと疾く時は過ぎ去り終わりぬ。

充実の時なりけり。


法律の外に棲む子供について



法律の外に棲む子供について

わたしの好きな人間達は、どういうわけか皆、法律の外にいる子供である。以下に挙げてみよう。

1。寒山拾得
2。地下鉄サム

実は、これらの人間は、後でその絵画なり、小説なりを読んでみると、子供ではなく、大人であり、地下鉄サムなどは、どうも二十代後半から三十代前半の年齢に見える。

しかし、尚、これらの人間達は、わたしのこころの中では、法律の外にいる子供の姿として鮮明に記憶され、日々わたしと共に生きているのを感じる。更に、日本語でいうならば、

3。童子、yy童子
4。xx丸

と呼ばれる子供達も、わたしの深い友人である。

椎名麟三の「神の道化師」はよかった。まさしく、法律の外に生きる子供を生々しく描いている。

2012年10月6日土曜日

埴谷雄高論5(三輪與志の「自同律の考究」)


埴谷雄高論5(三輪與志の「自同律の考究」)

死霊の中で、三輪與志は「自同律の考究」という論文を書いている。

その内容を構成する具体的な、論文の中の文を今、思うままに作中から拾って来て、後日の備忘としたい。この論文の中身を復元するためである。

わたしの手元においている本は、「埴谷雄高全集3」(講談社)である。

1。第1章 癲狂院にて
(32ページ):黒川健吉との対話

ーーー三輪が論文を書きはじめていると矢場が云っていた ……。
ーーー書いている『自同律の考究』という表題だ。

ぽつりと不快そうに三輪與志は答えた。その三輪與志の肩へ殆ど触れるほど近く、黒川健吉は寄り沿ってき

ーーー存在は不快を噛みしめなければならないのだろうか、三輪。
ーーーそう。そうかも知れない。…… 俺は不快だと云っているだけだ、先刻から ……。

(55ページ):岸博士との対話
ーーーふむ、貴方も自己意識の延長外に出てみたい一人なのでしょうか。それが、それほど魅力的な課題ですかしら。ですが、…… 私は精神病医として敢えて断言しますが、自己が自己の幅の上へ重なっている以外に、人間の在り方はないのです。
ーーーそれは、不快です。
と、三輪與志はぽつりと云った。
ーーー不快 ……。私はひょっと想い出したのですが、…… 間違ったら失礼 …… 自同律に関する論文を、貴方は書かれなかったしょうかね。もうかなり前で ……そう、社会的な運動が盛んな頃で、誰も注意しなかったようでしたが、私はかなりはっきり記憶しています。

(ここからあと、58ページまで、岸博士と三輪與志の対話が続き、虚体を論ずる。)

2。第9章 <<虚体>>論ー大宇宙の夢
(851ページ)
ここに岸博士の理解する虚体論が展開されている。このページ以降、話者を変えながら虚体論が続く。

(852ページ)岸博士の言葉
(略)一昨日の夜につづいて、昨夜もまた私は古い雑誌を書棚の奥から取り出して、三輪君の『自同律の考究』を繰り返し読んでみました。そして、そのとき、これまで思いいたらぬ深さで特に昨夜私の気をひいた三輪君の章句は、僅かに短いつぎのような言葉でした。

 存在が思惟するときのひそやかな囁きを聞こう。それはそこに自身を見出だし得ない呻きではないのか。


(866ページ):津田安寿子の質問に対する黒服の男の回答
(略)お嬢さん、御存じでしょうか。與志君の『自同律の考究』の記述のなかの詩の一つは、こういうものです。
  <<自己疎外>>。墓地の木魂のごとく気味悪く去りやらぬその影よ。

(この稿続く)