2014年8月30日土曜日

【カフカの箴言31】克己と茫然たる光景



【カフカの箴言31】


【原文】


Nach Selbstbeherrschung strebe ich nicht. Selbstbeherrschung heisst: an einer zufälligen Stelle der unendlichen Ausstrahlungen meiner geistigen Existenz wirken wollen. Muss ich aber solche Kreise um mich ziehen, dann tue ich es besser tätig im blossen Anstaunen des ungeheuerlichen Komplexes und nehme nur die Stärkung, die e contrario dieser Anblick gibt, mit nach Hause.


【和訳】

克己しようと、わたしは努力しない。克己とは、わたしの精神的な存在の無限の放射の偶然の場所で働きたいということを意味する。わたしは、しかし、そのような円を、わたしの廻りに描かなければならず、そうなれば、わたしは途方もない複雑体を単に呆然と眺めることにおいて、もっとより良くそれをすること(円を描く事)になろうし、そして、今度は反対にこの光景が与えてくれる強さを取って、一緒に家に帰ることになる。


【解釈と鑑賞】


克己とは、自己の廻りに円を描くことだと、カフカは言っています。

しかし、カフカの言うには、自分の、そして人間の精神の働きから言って、それは不可能だというのです。それが、「わたしの精神的な存在の無限の放射」です。円を自己の廻りに描くことは、有限の範囲に自己をおくことを克己というのだという考えです。

自己の周囲に円を描くと、それは複雑隊を招来する。そして、カフカはそれを茫然と眺める以外にはない。しかし、今度は茫然とながめると、その光景がカフカに強さを与えてくれるという。それを自分のものとして、家に帰るというのです。

この場合の家は、どのような家であるか、カフカは言っておりません。

文字通りに、仕事場から家に帰るととるのもよし。そうなれば、この文章は、会社で考えたことだということになるでしょうし、それはそれで、大変味わい深いものがあります。そこでは、克己を強いられるからです。


しかし、他方、カフカはこの文章にあるような方法で、即ちその現実の光景が与えてくれる強さを我がものとして、家に帰ったのです。

【ショーペンハウアーの箴言31】人間より動物への愛が


【ショーペンハウアーの箴言31】




【原文】


Seitdem ich die Menschen kenne, liebe ich die Tire.



【和訳】


人間たちを知って以来、わたしは動物たちを愛している。



【解釈と鑑賞】


これも、ショーペンハウアーらしい、辛辣な箴言です。


説明不要であると思います。

暗に、人間を軽蔑していると言っているのです。


2014年8月23日土曜日

【カフカの箴言30】善に慰めは無い



【カフカの箴言30】


【原文】


Das Gute ist in gewissem Sinne trostlos.


【和訳】

善であるもの、善きものとは、或る意義においては、慰めの無いものである。


【解釈と鑑賞】


今度は、悪から善についての思考です。

確かに、当たっていると思います。生きるということは、善であれ、悪であれ、大変なことのようです。


【ショーペンハウアーの箴言29】礼儀作法は、空気枕である。


【ショーペンハウアーの箴言29】




【原文】


Die Höflichkeit ist wie ein Luftkissen: es mag wohl nichts drin sein, aber es mildert die Stöße des Lebens.



【和訳】

礼儀正しいということは、空気枕のようなものである。即ち、其の中にはきっと何も入っていないらしいし、とはいへ、そのお蔭で、人生のあまたの衝突が和らぐのである。


【解釈と鑑賞】


これも、ショーペンハウアーらしい、辛辣な箴言です。


何も入っていないらしい」というこの「らしい」(助動詞、moegen)が、ひとを食った表現になっていて、可笑しい。

2014年8月16日土曜日

【カフカの箴言29】悪と鞭



【カフカの箴言29】


【原文】


Die Hintergedanken, mit denen du das Böse in dir aufnimmst,
sind nicht die deinen, sondern die des Bösen. Das Tier entwindet dem Herrn die Peitsche und peitscht sich selbst, um Herr zu werden, weiss nicht, dass das nur eine Phantasie ist, erzeugt durch einen neuen Knoten im Peitschenriemen des Herrn.



【和訳】

お前に下心があって、その考えで悪をお前の中で受け容れると、その下心は、お前の下心ではなく、悪の下心であるのだ。動物は主人から鞭を奪いとり、自分が主人になるために、自分自身を笞打つのだが、それでいて、それが単なる空想であることを知らないのであり、その空想は、主人の鞭の革紐にある新らしい結び目によって創造されるのだ。


【解釈と鑑賞】


悪についての思考が続きます。お前とあるので、これは自分自身に語りかける言葉として、カフカは書いたものでしょう。

或いは、誰か傍にいたひとの心の中を観察した結果を独語しているのでしょう。

自分が主人になるために、自分自身を鞭打つ」というのは、実に皮肉が効いています。

人の鞭の革紐にある新らしい結び目」が、誰によってつくられるのか、それともこの結び目も自分で我が身を鞭打つ空想によって生まれるものなのか、カフカは言っておりません。

今、ここまで書いて、あらためて原文を読みますと、「人の鞭の革紐にある新らしい結び目」は、そのような鞭の使いかたをすると、ひとりでにできるようにも読む事ができます。





【ショーペンハウアーの箴言28】普通の人の普通の言葉


【ショーペンハウアーの箴言28】




【原文】


Man brauche gewöhnliche Worte und sage ungewöhnliche Dinge.



【和訳】

ひとは、普通の言葉を必要とし、そして、普通の物事を言う、ということになっている。


【解釈と鑑賞】


動詞が接続I式なので、上のように訳しました。だれかの言葉の引用として言われているのです。

ショーペンハウアーという人間の考え方を考えると、辛辣な言葉ととることもできますが、この通りにとって、その通りだと思うことも、よいことだと、わたしは思います。




2014年8月2日土曜日

【カフカの箴言28】悪を受け容れること



【カフカの箴言28】


【原文】


Wenn man einmal das Böse bei sich aufgenommen hat, verlangt es nicht mehr, dass man ihm glaube.


【和訳】

ひとが悪を自分で受け容れたからといって、そのことは、ひとが悪を信じるということを要求するわけではないのだ。


【解釈と鑑賞】



これも、その通りの箴言ではないでしょうか。

悪事をなすことを自分で知り、それを受け容れて、したとして(そういう人間は数多くいるに違いない、知っても知らずとも)、そのことと、悪の言うところを信ずることは、また別だというのです。

理性を失わないための箴言です。


【ショーペンハウアーの箴言28】


【ショーペンハウアーの箴言28】




【原文】


Schreibt ihr Plattheiten und Unsinn in die Welt, so viel es euch beliebt, das schadet nicht, denn es wird mit euch zu Grabe getragen; ja, schon vorher. Aber die Sprache lasst ungehudelt und unbesudelt: denn die bleibt.



【和訳】

お前達の好きなだけ、下らぬことを書き、どうしようもないことを書いて、世間に発表するがいい、そうしたところで、全然害になることはない。何故ならば、そんなことは、お前達と一緒に墓場に運ばれて行くからだ。そう、既に事前に、そうなると決まっているのだ。しかし、言葉は、だらしなくされるものではなく、汚されるものでは、そもそもない。何故ならば、言葉は留まるからだ。



【解釈と鑑賞】


これも辛辣な箴言です。

言葉を、最後の一行のように理解することのできない輩への悪態というところです。


最後の行にあるlasstは、lässtの誤植かも知れないと思い、後者の理解としました。