2015年3月29日日曜日

【カフカの箴言64】精神の世界しかないという事実



【カフカの箴言64】


【原文】

Die Tatsache, daß es nichts anderes gibt als eine geistige Welt, nimmt uns die Hoffnung und gibt uns die Gewißheit.


【和訳】

精神的な世界以外のものはないという事実、この事実は、わたしたちから希望を奪い、そして、わたしたちに確信を与える。


【解釈と鑑賞】

カフカらしい箴言です。

この一文のカフカらしさは、この事実が希望を奪うものであるといっているところで、普通は、精神世界は希望を与えるのではないかと思います。

しかし、その辛さは希望を逆に与えない、与えないどころか奪ってしまう。

しかし、同じこの事実が、確信を与えるのだという。

この論理展開、二つの奪うと与えるという文の接続が、いかにもカフカらしいと思います。

この場合、確信と訳したドイツ語は、確実性という意味です。その方が意味の通る訳かもしれません。









【ショーペンハウアーの箴言63】独自の経験は長所にならむ


【ショーペンハウアーの箴言63】


【原文】

Die eigene Erfahrung hat den Vorteil völliger Gewissheit.


【和訳】

独自の経験には、完全な確信という利点がある。


【解釈と鑑賞】

もっと砕いて訳すと、

自分独自の経験をすれば、そのことに拠る確信が生まれて、その確信は全く完璧なもの、非の打ちどころのないものであるから、それはそのまま、そのひとの長所である

という意味です。

これも、この通りの箴言でありませう。



2015年3月21日土曜日

【カフカの箴言63】隣人愛と自己愛と正義と不正義と

【カフカの箴言63】


【原文】

Wer innerhalb der Welt seinen Nächsten liebt, tut nicht mehr und nicht weniger Unrecht, als wer innerhalb der Welt sich selbst liebt. Es bliebe nur die Frage, ob das erstere möglich ist.


【和訳】

世界の内部で自分の隣人を愛する者は、世界の内部で自分自身を愛する者よりも多くも少なくも不正義をなすことはない。問題なのは、前者が可能であるかどうかということだけである。


【解釈と鑑賞】

全くもつてその通りのカフカの箴言です。

日々、この問はがわたしたちに問はれていると考えてよいでせう。







【ショーペンハウアーの箴言62】脳味噌と胃袋の関係


【ショーペンハウアーの箴言62】脳味噌と胃袋の関係


【原文】

Das Gehirm denkt, wie der Magen verdaut.


【和訳】

脳味噌は、胃袋が消化するように思考している。

【解釈と鑑賞】

これもショーペンハウアーの真骨頂です。

その主著『意志と表象としての世界』の中で、デカルトの考へを批判して、知性といふものを意志(エロス、生命力)の下に位置づけてをりますから。

脳の働きは、内臓の消化器官の働きと、人間にとつては、同じ意味を持ってゐる、あるいは同じ意味しかないのだといふのです。

とは言へ、この哲学者は、その主著にをいては、常にデカルトには聡明なるといふ形容詞を冠し、褒め称へてをります。

もうあと二人、褒め称へてゐる哲学者がをります。

それは、プラトンとカントです。

前者を呼ぶときは常に、神のやうなプラトン、後者を呼ぶときは常に、偉大なるカントと呼びならはしてをります。


2015年3月16日月曜日

【カフカの箴言62】世捨て人と世間のバランス(均衡)

【カフカの箴言62】


【原文】

Wer der Welt entsagt, muss alle Menschen lieben, denn er entsagt auch ihrer Welt. Er beginnt daher, das wahre menschliche Wesen zu ahnen, das nicht anders als geliebt werden kann, vorausgesetzt, dass man ihm ebenbürtig ist.


【和訳】

世間を捨てる者は、すべての人間たち を愛さねばならない。というのは、この者は、またその人間たちの世界をも捨てるからである。この者は、それ故に、真実の人間的な本質を予感し始めるのであ り、その本質は、愛されることができるということ以外の何物でもないのであり、その前提は、世間の人はこの者に同等している、匹敵しているということなの である。


【解釈と鑑賞】

日本人ならば、身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれというところではないだらうか。




【ショーペンハウアーの箴言61】賭け事と自堕落な日常生活


【ショーペンハウアーの箴言61】


【原文】

Der Geist des Kartenspiels hat einen demoralisierenden Einfluss, weil man auf alle Weise, durch jeden Streich und jeden Schlich dem anderen das Einig abgewinnen will. Die Gewohnheit wurzelt ein, greift über ins praktische Leben, und man kommt allmählich dahin, in den Angelegenheiten des Mein und Dein es ebenso zu machen.


【和訳】

カー ドゲームの精神は、不道徳化する影響を有してゐる。といふのは、あらゆる方法で、どの行為によっても、そしてどの策略によつても、他人から唯一ものを勝ち 取りたいからである。この習慣は根を下ろし、実践的な生活の中へと干渉し、そして、次第にだうなるかといふと、俺とお前の数々の問題で、同じことをするこ とになるのだ。


【解釈と鑑賞】

まつたくこの通りです。

根を降ろすとか、習慣とか、かうやつて賭け事との関係で、ドイツ語を眺めると、実に実感として言葉を理解することができます。

2015年3月7日土曜日

【カフカの箴言60】階段と磨り減つて出来た穴と人生と

【カフカの箴言60】

【原文】

Eine durch Schritte nicht tief ausgehöhlte Treppenstufe ist, von sich selber aus gesehen, nur etwas öde zusammengefügtes Hölzernes.


【和訳】

Eine durch Schritte nicht tief ausgehöhlte Treppenstufe ist, von sich selber aus gesehen, nur etwas öde zusammengefügtes Hölzernes.
規則正しく歩くことによって深く掘り込まれて穴のあかない階段の段というものは、それ自体からして見ると、荒涼として連結された単なる木材というようなものに過ぎない。


【解釈と鑑賞】

木の階段を登りながら、カフカは考へたのでせう。プラハの建物の階段です。さうして、それは降る階段ではなかつたことでせう。

この解釈は多様にあり得ます。

しかし、いつものカフカの論理に従へば、だからといって、階段に穴があけばよいといふものではないのです。

このカフカの論理は、実に安部公房によく通ってをります。それ故に、後者は、前者が好きだつたのでせう。


【ショーペンハウアーの箴言60】思考と実験


【ショーペンハウアーの箴言60】


【原文】

Wohin Denken ohne Experimentieren führt, hat uns das Mittelalter gezeigt; aber dieses Jahrhundert läßt uns sehen, wohin Experimentieren ohne Denken führt.


【和訳】

思考が、実験することなく、どこへ(ひとを)導くかということは、中世が私たちに既に示したことである。しかし、この世紀は、実験ということが、思考することなく、どこへ(ひとを)導くかということを私たちに見せているのだ。


【解釈と鑑賞】

この世紀といつてゐる世紀は、ショーペンハウアーの生きた18世紀から19世紀です。特に、成年になつてからの19世紀を意味してゐるでせう。

笑ふ以外にはありませぬ。

思考といふDenkenにも、実験といふExperimentierenにも、冠詞がなく、無冠詞であるといふことが、この哲学者の、これらの行為に対する侮蔑を表してゐます。

余りにも通俗であるといふことです。

2015年3月1日日曜日

【カフカの箴言59】如何に少なく嘘をつくか



【カフカの箴言59】如何に少なく嘘をつくか


【原文】

Man lügt möglichst wenig, nur wenn man möglichst wenig lügt, nicht wenn man möglichst wenig Gelegenheit dazu hat.


【和訳】

出来る限り少なく嘘をつく場合にのみ、ひとは出来る限り少なく嘘をつくのであり、それは、嘘をつくための出来る限り少ない機会がある場合にのみにそうだということではない。


【解釈と鑑賞】

機会があるだけでは、一層人間は嘘をつく、たとえそれが多かろうと少なかろうと、とカフカは言っているように見えます。

要するに、嘘そのものを出来るだけ少なくつくことが大切だといっているのです。変な言い方ですけれども。

【ショーペンハウアーの箴言58】


【ショーペンハウアーの箴言58】柏の木の成長について


【原文】

Indessen ist die größte Eiche einmal eine Eichel gewesen, die jedes Schwein verschlucken konnte.


【和訳】

そうしている間には、最大の柏の木というものは、以前は小さな柏の木であったのであり、それは、どの豚でも飲み込むことのできた木であったのだ。


【解釈と鑑賞】

ヨーロッパでは、豚は柏の木を食べるものらしい。豚ならば飲み込むことのできる程の大きさの木であるというのです。それが成長すると大きな木になる。

ショーペンハウアーは何がいいたのでしょうか。

どんな大木も最初は枝のように小さかったということなのでしょう。

平凡ではありますが、人間はいつも結果だけをみて、そこに至る道をみることが少ないのではないでしょうか。そのようなときに、虚を突かれる箴言です。