2015年6月27日土曜日

【カフカの箴言78】安部公房に通ずるカフカのいふ精神


【カフカの箴言78】


【原文】

Der Geist wird erst frei, wenn er aufhört, Halt zu sein.


【和訳】

精神が、停止する状態であれば、いつでも精神はまづもつて自由になるのだ。


【解釈と鑑賞】


かういふことを書くカフカがゐるので、安部公房はカフカが好きになるのであらうなとおもはれる一行です。


競争とは無縁なカフカの精神です。

【ショーペンハウアーの箴言78】願ひとは叶ふものなのか?


【ショーペンハウアーの箴言78】


【原文】

Überhaupt aber ergeht es uns im Leben wie dem Wanderer, vor welchem, indem er vorwärts schreitet,  die Gegenstände andere Gestalten annehmen, als sie von ferne zeigten, und sich gleichsam verwandeln, indem er sich nähert. Besonders geht es mit unseren Wünschen so.


【和訳】

そもそも、しかしながら、人生の中にあつては、我々の身に起こることといへば、それは、旅人の身に起こることも同然なのであり、つまり、旅人といふ者がゐて、旅人が行進して前へ進むことによつて、旅人の前では色々な対象が其の他の様々な姿をとるわけであるし、対象は其の姿を其のようなものとして遠くから示すのであらうし、そしてまた、旅人が近づゐて来ることによつて、色々な対象は言はば姿を変ずるのであり、そのような旅人の身にとつてさうであるやうなものなのである。特に、我々の願いや希望というものについていふならば、まさしくさうである。


【解釈と鑑賞】

わたしたちを旅人に喩えて、希望や願いに近づかうとしても、それは最初に本来思つてゐたものとは姿を変じて、われらが眼前に姿を現わすといふのです。

然りといふべきでありませう。

今ここで一言でいへば、人生はもどかしいといふことになりませうか。






2015年6月23日火曜日

【カフカの箴言77】交際と自省



【カフカの箴言77】


【原文】

Verkehr mit Menschen verführt zur Selbstbeobachtung.


【和訳】

人間たちとの交際、これが、自省へと誤り導くのだ。


【解釈と鑑賞】


この自省へと誤り導くといふ此の誤り導くことが、よいものであるか、悪いものであるか、両方に解釈が可能です。

これを、一種の逆説ととり、カフカが此れを楽しんでゐると取れば、前者であり、文字通りに誤り導くととれば、後者です。

自省とは、しかし、カフカの常でありませうし、カフカの言葉は其処から出てくるわけですから、これは前者ととるのがいかも知れません。

ドイツ語でみると、最初の交際と訳したVerkehrtのver-と、誤り導くと訳したverführenver-と、この前綴の意味する連想が働いているものと思ひます。

また、散文としてあるにもかかわらず、恰も詩のやうに韻を踏んでいるといふことにもなります。


【ショーペンハウアーの箴言77】現在の良き時間を如何に大切にするか


【ショーペンハウアーの箴言77】


【原文】

Es ist töricht, eine gute Stunde sich zu verderben aus Überdruss über das Vergangene oder Besorgnis wegen des Kommenden.


【和訳】

過去についての不愉快から、或いはまた将来来るもののことで思ひ患ふことで、いい時間を台無しにすることは、愚かなことである。


【解釈と鑑賞】

これは、時間と感情に関する考察でありませう。そのやうに一言でいふことができます。

時間とは最初から良きものなのか、それとも、よい時間があつたことを前提にしている此の一文であるのか、それによつて、解釈はふたつあり得ませう。

törichtを愚かと訳しましたが、しかし、この語は相当に辛辣に聞こえます。






2015年6月13日土曜日

【カフカの箴言76】消極的な決心と洪水の関係



【カフカの箴言76】


【原文】

Dieses Gefühl : hier ankere ich nicht− und gleich die wogende, tragende Flut um sich fühlen!.


【和訳】

この感情:”ここを水浸しにしてなるものか”、そして直ちに、自分の周りに大波が波打ち、ひとを攫(さら)つて行く洪水を感じるのだ!


【解釈と鑑賞】


さう思つたら、そのやうになるといふ教訓でありませうか。

ankerenという綴りは、Ankernと解して、さう訳しました。

そうであれば、その後の洪水の喩えにつながることができます。

”ここを水浸しにしてなるものか”と訳しましたが、

”わたしだつたら、ここを水で一杯にすることはない”といふ訳もあると思ひます。

ここを水で一杯にする、といふ此の感覚、これが日本人には一寸ぴんと来ないやうに思ひますが、如何でせうか。

他の用例をも見てみますと、自分が何かそちらの方に向かふ、身を振り向ける、お願いをする、声に出しておーいと呼びかけるといふ意味であることが判ります。


としてみれば、ここでは、そのやうな行為をしないといふ意味の過カフカの箴言であります。

【ショーペンハウアーの箴言76】無為なる歩行なり、散歩とは、


【ショーペンハウアーの箴言76】


【原文】

Von einem, der spazieren geht, kann man niemals behaupten, er mache einen Umweg.


【和訳】

散歩をしてゐるにとについては、廻り道をしてゐる、遠廻りをしてゐるとは主張することは決してできないのである。


【解釈と鑑賞】

ひとは毎日最短距離を求めて生きているやうに見えます。

実際そのやうなひとばかりでありませう。

しかし、この箴言に触れたあなたは、散歩をするのが最善。

そこには、競争はありません。従ひ、最短距離も、効率も、生産性も、なにもなく、ただ景色を楽しみ、歩くことそのものを楽しむ自分がゐることを楽しむのです。

全く、無為なる歩行(das Gehen)でありませう。





2015年6月6日土曜日

【カフカの箴言75】人であることを試金石にせよ



【カフカの箴言75】


【原文】

Prüfe dich an der Menschheit. Den Zweifelnden macht sie zweifeln, den Glaubenden glauben.


【和訳】

自分を、人であることを以つて試しなさい。人であれば、このことは、疑う者を疑はせ、信じる者を信じさせるのです。


【解釈と鑑賞】


人であることを訳したドイツ語の最初の意味は、人類です。次に人間性といふ訳語が辞書には出て参ります。その次には、人道といふ訳語が充てられてゐます。

人であることといふドイツ語の後綴の-heitといふ意味から言つて、人間の性質といふ意味、人間といふことといふ意味ですから、やはり自分自身が人間であることを思つて、我が身を返りみれば、疑ふ者も信ずる者も共に自分の姿だといふことをカフカは言つてゐるのでありませう。


人であることを以つてと訳した此の以つてと言ふドイツ語の前置詞は、anといふ英語ならばonに相当する前置詞で、ぢかにそれに触れて、それを試金石にしてと言ふ意味です。






【ショーペンハウアーの箴言75】みなの意見と洞察の有無の関係について


【ショーペンハウアーの箴言75】


【原文】

Die öffentliche Meinung ist eine Ansicht, der es an Einsicht mangelt.


【和訳】

公の意見といふものは、洞察を欠いた見解のことである。


【解釈と鑑賞】

これも、また、皮肉の効いた、しかし、よく世間に通用する、ショーペンハウアーの言葉であり、洞察です。

また、これを、わたしの言葉で一言でいへば、通俗といふ此の一語に尽きます。

公(おほやけ)と漢字で書けば一見難しさうでありますが、やまとことばで言ひ換へれば、誰も彼もがいふやうなこと、言つてゐること、さういふ考えは、といふことです。

この箴言もまた、真理でありませう。