2015年1月11日日曜日

【カフカの箴言51】個人的な神への信仰



【カフカの箴言51】個人的な神への信仰


【原文】

Der Mensch kann nicht leben ohne ein dauerndes Vertrauen zu etwas Unzerstörbarem in sich, wobei sowohl das Unzerstörbare als auch das Vertrauen  ihm dauernd verborgen bleiben können. Eine der Ausdrucksmöglichkeiten dieses Verborgenbleibens ist der Glaube an einen persönlichen Gott.


【和訳】

人間というものは、人間自身の中に何か破壊でき得ないものへの持続する信頼がなければ、生きてゆくことができないのだ。この場合、破壊でき得ないものも、それから信頼するということも、人間に対しては、持続的に隠されてあることがあり得るということなのである。この、隠されてあるということの表現の幾多の可能性の一つは、個人的な神への信仰なのである。


【解釈と鑑賞】

カフカの此の最初の一行は、その通りであると、わたしは思う。

しかし、最後の一行には、賛成しない。何故ならば、個人的な神などは無いからである。

神、というのであれば、それは既に個人的なものではない。

カフカは、ニーチェを読んだのであろうか。そうであれば、わかるように思う。

しかし、それであれば尚、またそうであればこと、神という言葉本来の意義と意味に戻って考えれば、個人的な神などは存在しないのである。

この最後の一行は、そうすると、カフカという人間は、言葉に頼ったということであり、さて、しかし、カフカは言葉、言語を何だと考え、どのようなものだと考えたのかという問いに答えることになるだろう。

これからの箴言には、この問いに答えるカフカの箴言が出てくるものと思はれる。

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