2014年2月7日金曜日

【ショーペンハウアーの箴言2】




【原文】

Das Schicksal mischt die Karten, und wir spielen.



【和訳】

運命がトランプのカードをシャッフルし、そして、われわれ人間が遊ぶのだ。


【解釈と鑑賞】

運命がと訳しましたが、運命という奴がと訳してもよいでしょう。

die Kartenは、トランプのカードのことです。

ショーペンハウアーの譬喩(ひゆ)は素晴らしく正鵠を、いつも、射ています。最近その主著『意志と表象としての世界』全4巻を一気に読了しましたが、本当に読んでいて感心し、唸るような譬喩があちこちに、それも本質的な物事を体系的に論じるところで使われているのが、素晴らしい。

この一行もまた、従い、この哲学者の体系的な思考によって照らされた譬喩のひとつなのです。

Kindleでその主著の中の、運命という語を検索すると、全部で64件出て来ました。

この64のうちから、ショーペンハウアーによる運命の定義を探すと、次のような定義がありました。これが、ショーペンハウアーの体系上の運命という概念の位置です。

Wie die Begebenheiten immer dem Schicksal, d.h. der endlosen Verkettung der Ursachen, so werden unsere Taten immer unserm intelligiblen Charakter Gemäß ausfallen; aber wie wir jenes nicht vorherwissen, so ist uns auch keine Einsicht a priori in diesen gegeben; sondern nur a posteriori, durch die Erfahrung, lernen wir, wie die Andern, so auch uns selbst kennen.


【訳】

出来事が、いつも運命に、即ち、原因の無限の連鎖に従うように、われわれの行いはいつも、われわれの知的な性格に従って、結果するのだ。しかし、われわれが運命を事前には知ることがない以上、われわれには、どんな洞察も、われわれの行為においては、a prioriには与えられていないことになり、そうではなくて、ただa posterioriに、経験を通してのみ、われわれは、他の人を知る場合も同様であるが、そのようにわれわれ自身のことをも知る以外にはないのである。

こうしてみると、この箴言のいう運命とわれわれの関係がよく判るのではないでしょうか。即ち、

運命は、無限の原因の連鎖であるということ。その連鎖をa prioriには人間は知ることができないこと。従い、人間は、その行いによって、従い経験によってしか、a posterioriにしか、自己についても知る事ができないということ。

どのような手を選択し、どのような機に賭けるのかは、そのひとの知的な性格によるということになるのでしょう。

性格こそ財産であるということになります。これは、わたくしの箴言でありますけれども。


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