2014年2月15日土曜日

【カフカの箴言4】


【カフカの箴言4】


【原文】

Viele Schatten der Abgeschiedenen beschäftigen sich nur damit, die Fluten des Totenflusses zu belecken, weil er von uns herkommt und noch den salzigen Geschmack unserer Meere hat. Vor Ekel sträubt sich dann der Fluss, nimmt eine rückläufige Strömung und schwemmt die Toten ins Leben zurück. Sie aber sind glücklich, singen Danklieder und streicheln den Empörten.


【和訳】


孤独なものたちの数多くの影は、ただ、死の河の洪水を舐めているのにいそしむだけである。何故ならば、死の河は、生きているわたしたちに由来するものであり、そして、わたしたちのういの塩辛い味を依然として持っているからである。すると、次には、吐き気の余りに、その河は、ささくれ立ち、逆流し、死者たちを生命の中へと逆に押し流して、入れるのだ。死者達は、しかし、幸福であえり、感謝の歌を歌い、そして、怒れる者たちをなでて愛撫するのだ。


【解釈と鑑賞】


冒頭、孤独なものたちと訳したドイツ語は、die Abgeschiedenenであって、本来は、分離されたもの、場合によっては死者と同義の、孤独な者、隠退した者という意味です。

とはいへ、まだ死んでいるわけではなく、一人とは言え、生きているのです。

そのような人間たちの影は、といっているところをみると、この孤独な隠退者たちは、文字通りにそうであるひとも含み、実際に社会のなかにいて、しかも尚そのようなものの考え方にある人間達を指して言っているのだと思われる。それゆえに、「孤独なものたちの数多くの影」といって、数多くの影という言葉を主語にしたのだろうと思います。

さて、そうだとして、そのこころの在り方の影は、わたしたちの生きていることから来る影であります。そして、その生活とは、死の河を舐めるのだという。死の河を舐めるとは、死の河の水を舐めるという意味でしょう。

そして、その河の水は、わたしたちの海から来るので、塩辛い。カフカが、人生を塩辛いと、生きることを、その味で呼んだということ、そのように考えていたことがわかります。

わたしたちの海とは、普通に考えると、わたしたちの生まれた、生命のもとという意味ですが、そうであるか、またそうでないかは別としても、わたしたちの生命、生活の由来する源、よって来るところは、海であって、もともと塩辛いものだというのです。

単なる生命讃歌では全然ありません。

また、海は単数形ではなく、複数形でありますから、それぞれのひとたちが自分の海を持っていて、その自分の海に由来していると、カフカが考えていることがわかります。これは、普通の海の形象(イメージ)とは全く別で、この複数の海そのものが、実に孤独です。それ故に、そうカフカは考えている故に、確かに、その味は一層塩辛いのでしょう。

これが、カフカという人なのでしょう。

さて、このような現実の姿を見て、死の河は吐き気を催し、その余りに逆流をして、死者たちを生命の中へ、生活の中へと、戻すというのです。
(この場合の河と訳したder Flussは、単数ですから、どの河もみな同じように一様に行動するという意味になるでしょう。また、こうしてみると、最初の死者の河といっている河は、死者達が流れている河という意味であることがわかります。死者達が流れて河になっているというのです。)

にもかかわらず、即ち塩辛い味のする生命と生活に戻って来ているのにもかかわらず、死者達は、喜んでいて、感謝の歌まで歌うという。
そうして、怒り、憤慨するものをなでて、なだめるというのです。

死の河の洪水とある洪水も、複数形ですから、それはもう何度もしょっちゅう、ひっきりなしに、日常的にやって来るのかも知れません。

さて、第二行目の「すると、次には、」とある、dann、次にはとは、一体なにがあって、その次には、そうなると言っているのでしょうか。

やはり、それは、「孤独なものたちの数多くの影は、ただ、死の河の洪水を舐めているのにいそしむだけである」という現実を見て、ということになるでしょう。その現実に吐き気を催す。死者達は、河のように流れているが、その死者達は、生者の中に生きている死者のごとき(死者そのものではない)生者に舐められるのに堪え難いといっているのです。

従って、その生者の故郷である塩辛い海などには帰りたくない。死者たちもまた、生者と同じ故郷、海に帰る定めのようです。死者と生者が同じところに帰って、一緒になる、そんなことは、いやだ、やってられないと死者達は考えて、生者の世界に逆流して戻って来るというのです。そうして、生者たち、とはいへ、しかし、隠者のように孤独な人間達の住む世界に戻って来る。

この箴言は、2行からなっていますが、最初の一行は、カフカのみた現実を、二つ目の行は、その現実の姿のおぞましさに、バランス(均衡)をとるために、カフカが想像し、創造した二つ目の現実ということなのかも知れません。

そうだとすると、カフカの小説を書くときの動機と、そのありのままの姿が、ここにあるということになります。

死者達が生者の中に生きている世界。何か、ヨーロッパの中世の、死の舞踏と呼ばれる銅版画のある時代を思わせるような気がします。

死者達が帰って来て尚、この世で生きるものの中に怒れる者がいて、死者がその者をなだめ、慰めるという書き方をするほどに、何かカフカという人のものの見方には、情け容赦のないものがあります。怒れる者は、単数形で定冠詞がついていますので、何かその姿は人間の典型であるかのように書かれています。



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