2014年5月3日土曜日

【カフカの箴言14】道と落ち葉


【カフカの箴言14】


【原文】

Wie ein Weg im Herbst: Kaum ist er rein gekehrt, bedeckt er sich wieder mit den trockenen Blättern.



【和訳】


秋の一本の道のように。即ち、その道が方向を転換して内側に向くや否や、それは、再び乾いた葉っぱによって、我が身を覆うのである。


【解釈と鑑賞】


これは、カフカの書いた詩であるようにおもはれる。

秋とはどのような季節であるか、道とは何か。道が内側を向くとはどのようなことであるのか。そのような道は、必ず落ち葉が落ちて来て、我が身を落ち葉の下に埋もれて隠すこととになる。これは、何を言っているのか。


こうしてみると、これは、この道とは、カフカ自身のこころのことを言っているように見えます。多分、間違っていないことでせう。

【ショーペンハウアーの箴言14】苦痛と退屈


【ショーペンハウアーの箴言14】


【原文】

Kommt zu einem schmerzlosen Zustand noch die Abwesenheit von Langeweile, so ist das das irdische Glück im Wesentlichen erreicht, denn das Übrige ist Schimäre.


【和訳】


ある苦痛の無い状態にあって、依然としてまだ、退屈が現れないとしたならば、それは、本質的に、地上の幸福が達成されたということなのだ。それというのも、その他のことは、妄想であり、架空のことであるからだ。


【解釈と鑑賞】


これもショーペンハウアーらしい箴言。

苦痛がないのに、退屈が来ないというのは、理想の状態ということでしょう。普通は、退屈になると言っているのです。

それ以外のことのそれとは、何を指しているのかというと、かうしてみると、苦痛がなくて、しかも退屈ではない状態、即ち、無ということではないでせう。


2014年4月26日土曜日

【カフカの箴言13】


【カフカの箴言13】


【原文】

Gingst du über eine Ebene, hättest den guten Willen zu gehen und machtest doch Rückschritte, dann wäre es eine verzweifelte Sache; da du aber einen steilen Anhang hinaufkletterst, so steil etwa, wie du selbst von unten gesehen bist, können die Rückschritte auch nur durch die Bodenbeschaffenheit verursacht sein, und du musst nicht verzweifeln.



【和訳】


平地を往くとしようか、そして、往かうという善き意志を持っているとしようか、しかし後退したとしようか、すると、それは絶望的なことになる。が、しかし、急な崖を登るのでああれば、そうである以上、例えばその崖が余りに急であって、下方から見ても君の姿の見えないところに君はいるのだから、後退するということも、ただ地面の状態が原因であるのだと言うことができるのだし、だから絶望するには及ばないのだ。



【解釈と鑑賞】


平地を往くのか、急な崖を登るのかの違いを、後退することとの関係でまとめている文章です。

後者の崖登りが、多分カフカにこの短い箴言を書かせた理由ではないかと推測します。


【ショーペンハウアーの箴言13】


【ショーペンハウアーの箴言13】


【原文】

Allerdings ist das Leben nicht eigentlich da, um genossen zu werden, sondern um überstanden, abgetan zu werden.


【和訳】


しかし、とはいへ、人生はそもそも、享受し、味わわれるためにあるのではなく、堪え忍んで、始末し、片付けるためにあるのだ。


【解釈と鑑賞】


人生とは何かという問いに対して、その目的について書いた箴言ということになるでしょう。

人生を味わい、享受することではなく、人生とは、堪え忍び、片付けるべきものだというのは、しかし、その通りでありませう。


生きることは苦しみだという考えが根底にあるのです。然り、然り。

2014年4月19日土曜日

【カフカの箴言12】独房から独房へ


【カフカの箴言12】


【原文】

Ein erstes Zeichen beginnender Erkenntnis ist der Wunsch zu sterben. Dieses Leben scheint unerträglich, ein anderes unerreichbar. Man schämt sich nicht mehr, sterben zu wollen; man bittet, aus der alten Zelle, die man hasst, in eine neue gebracht zu werden, die man erst hassen lernen wird. Ein Rest von Glauben wirkt dabei mit, während des Transportes werde zufällig der Herr durch den Gang kommen, den Gefangenen ansehen und sage:》Diesen sollt ihr nicht wieder einsperren. Er kommt zu mir.《



【和訳】


認識の始まった最初のしるしは、死にたいという願いである。この人生は堪え難いようにみえる、他の人生は、とても到達できないようにみえる。そうなると、ひとは死にたいと欲することを、もはや恥じないようになる。憎むべき古い独房の牢獄から出て、新しい独房へと運ばれて入れられたいと願い、そうしてくれと言うのだが、その独房をまたぞろ憎むことを学ぶこと必定なのである。その際には、信仰の残りかすが現実的に働くのだ、つまり、そうやって運ばれている間に、偶然に神様がその道にやって来て、この捕われた者を見て、こう言うのだと、そう思うのだ:「この者を、お前達は二度と閉じ込めてはいけない。この者はわたしの所へと来るのだから。」


【解釈と鑑賞】


これも、人間の心理をみたカフカの箴言ということでせう。

独房から独房へと、運ばれながら、同時にその道中には、いつも神様が助けてくれると願っている憐れな人間ということでせう。


しかし、カフカの言葉は暗くはなく、何かいつも、このようなことを言っていても、乾いております。これが、カフカの言葉なのでせう。

【ショーペンハウアーの箴言12】人間、所有、社会、苦悩


【ショーペンハウアーの箴言12】


【原文】

An sich selber so viel zu haben, dass man der Gesellschaft nicht bedarf, ist schon deshalb ein grosses Glück, weil fast alle unsere Leiden der Gesellschaft entspringen.


【和訳】


自分自身でかくも沢山のものを所有していて、その結果、社会を必要としないということがあれば、それは、次の理由によって、既に大きな幸福なのである。何故ならば、我々のほとんどすべての苦悩は、社会から生まれているからである。


【解釈と鑑賞】


これも、この哲学者の人間と所有と社会に関する洞察から生まれた箴言ということが言えませう。

まことに、この通りであると思います。

眼目は、最初の出だしのAn sich selberというところにあります。自分自身でと訳しましたが、自らにおいて社会を必要としないほどのものを所有している者はという意味です。


この場合の自分自身においてとは、精神的な意味も含むことでしょう。もし世俗的な所有を離れた所有をする者がいれば、やはりその者には大いなる幸福があるということになるのではないでせうか。それとも、これは、わたしの偏った考えでありませうか。

2014年4月12日土曜日

【カフカの箴言11】


【カフカの箴言11】


【原文】

Verschiedenheit der Anschauungen, die man etwa von einem Apfel haben kann: die Anschauung des kleinen Junge, der den Hals strecken muss, um noch knapp den Apfel auf der Tischplatte zu sehn, und die Anschauung des Hausherrn, der den Apfel nimmt und frei dem Tischgenossen reicht.



【和訳】

一個の林檎から得られる複数のものの見方の多様性。即ち、小さな若者のものの見方は、なんとかやっとその林檎を食卓のプレートの上にあるのを観るために、首を伸ばさなければならないというものであり、家長のものの見方は、その林檎をとって、自由に、ほしいままに、食卓を同じくする仲間に渡すものだというものの見方である。


【解釈と鑑賞】


これも、一読の通りの箴言です。カフカの観察のスケッチなのでしょう。


若者と家長の対比で、その一個の林檎に対するものの見方の違いを素描しています。