2012年10月11日木曜日

猿は金なり:monkey is money.

猿は金なり:monkey is money.

Money is monkey, Monkey is money.

Time  is moneyとはよく言われることだが、わたしの場合は何故か、monkey is moneyなのである。

何故か、いつもmoneyという文字をみるとmonkeyと読んでしまうのだ。そうして、文章の意味がとてつもなく非現実的な、奇妙奇天烈な文脈に迷い込むことになって、しばらくしてから錯視であることに気づく。ああ、猿ではなくお金のことなのだ、と。

猿は金なり。

しかし、これは案外に深淵な真理かも知れない。

何しろ、簡単には捕まらない、人間の好き勝手にはならない、それは丁度人間自身の姿のようであり、しかも、愚かな劣った人間の譬喩(ひゆ)としても秀逸だ、それに猿知恵というように、猿だと思って馬鹿にしていると却(かえ)って人間より悪知恵も働くかも知れない。お金も生き物である。

猿がお金だと思うことは、何か滑稽を伴う感情を喚起する。猿がお金だ、お金が猿だと思うと、お金に対して何かこうがっかりする感じ、幻滅の感じもあるのではないだろうか。

時間はお金であるという西洋、白人種の、確かこれはアメリカの建国の草創期のベンジャミン・フランクリンの言葉でありましたが、あくせくするその箴言よりも、猿はお金であるという方が何か東洋的な、支那の国の朝三暮四という逸話を思い出したりして、お金が人間の欲望の反照として、なかなかしみじみと味わい深いものを感じます。

一体moneyの間にあるkとは何なのだろうか?

多分、人間の欲望なのだろう。人間の欲望定数。



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