2012年10月8日月曜日

東京の下町を歩く



東京の下町を歩く













2012年10月6日(土曜日)に、旧友二人と上野駅の公園口出て直ぐ左にある小さなテラスのカフェで待ち合わせて、東京の下町をのんびりと散策するということをした。

かねて楽しみにしていた計画である。

そのカフェで待ち合わせるのは、勿論そこで、待っている間に、ビアが飲めるからです。

さて、ゆっくりと上野恩賜公園を通って、中にあるMカフェを更に通って、下町を散歩しました。

上野公園では、民謡と踊りの環ができていて、その踊りの輪に黒い人も白い人も混じって、楽しそうに踊っておりました。民謡の楽の音を聴くと、自分が日本人であること、そうしてそのゆったりとした旋律に身を浸していると、日本人に生まれてよかったという思いが致します。この写真を上梓します。

さて、その次に、やはり、これは、上野音楽学校の先生と生徒の奏する古式豊かな雅楽が、街中の小さな空間、今は記念館となった酒屋の前から聞こえて来ました。甘酒をすすりながらしばし聴いたことでした。横笛、笙、小さな縦笛(正しい名前があることと思います)の奏楽です。この写真を上梓します。古代のままの衣装を身につけて、演奏していました。

そのあとは、岡埜栄泉という和菓子屋さんで、豆大福を買いました。この大福は、わたしが30歳のときに広尾辺りの支店で買って、初めて口にして、余りの美味さに驚いた大福です。それ以来ずっと記憶に残り、こころに残っていた大福の本店がここにあるとは知りませんでした。やはり、美味い大福で、誠に幸せ、満足の歩行、道行きです。

更に歩くと、谷中の墓地を通ります。その塀から余って覆い被さるような、これは柑橘類の木がありました。その写真を上梓します。

同じ道筋に、オッペケペー節の川上音二郎の、今は銅像は戦時中の供出にて無くなったものの、その台座だけがあり、その写真を上梓します。

この歌詞を読むと、今でも全然古びていないことに驚きます。むしろ、このような節廻しと風刺の歌詞は、牧伸二で終わり、その後の後続がないのではないかと思います。この流れの復活を願いたい。

段々と谷中の商店街、谷中銀座に近づきますが、その少し手前で、築地塀の古い家がありましたので、ご覧下さい。これぞ、江戸という感じがします。

さて、谷中銀座の手前で、広場あり、そこで休日とて御祭りのことあり、太鼓の一座が太鼓をならしている、それを眺める、次の出番待ちのフラダンスの女性達の写真です。おでんという旗のそばで出番を待つというのが、何ともいいものです。こんな光景はハワイにはないことでしょう。

谷中銀座に入り、有名なメンチカツ屋さんでメンチカツを買い、その隣りにある酒屋でワンカップの樽酒菊正宗を手にして、酒屋の隣りの場所に、一升瓶の通い箱を逆さにして並べてある椅子に座って、往来を眺めながら、メンチを肴にやりながら酒を昼間から飲むという、非常に贅沢なる時間を過ごしました。極上の時間です。

午後の4時になったとて、日暮里駅ビルのさくら水産にしけこみ、まだ少し日の明るいうちから、次の酒を飲む仕儀とは相成りました。写真は、さくら水産に入る前の跨線橋からみたスカイツリーです。

跨線橋から眺めて、線路を写しましたが、向かって左が山の手、右が下町という、その分かれ目が、この写真です。

いと疾く時は過ぎ去り終わりぬ。

充実の時なりけり。


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