2012年8月29日水曜日

ユーモアとイロニー:Humor und Ironie


ユーモアとイロニー:Humor und Ironie


今朝配信されたあるメールマガジンに面白いジョークが載っていたので、引用して、掲載します。

(以下引用)

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1)ジョーク:小さな島国の小さな人間
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小さな島国の小さな人間がだ。

10年で国を根こそぎひっくり返し、

20年で中国と戦争し、

40年でロシアと戦争し、

80年で太平洋全域で戦争し、

コテンパンにのされたのに世界二位の経済国になり、

アメリカの横面を札束でひっぱたきそうになった。

そんな国が平和を唱えたとして、

信じるバカがどこにいる。

(以上引用おわり)


このようなユーモアとアイロニーは、今の日本にはとても大切だと思います。

大東亜戦争に敗北した(終戦ではない)戦後の憲法は、翻訳憲法です。

あるとき、六法全書を読む仕事をしていて、最初に英語の日本国憲法の原文があり、初めて英語で憲法を全文読んで、誠に驚いた次第です。何だ、日本国憲法は翻訳憲法だったのか。

それならば、話が早い。原文のテキストを読解するに如(し)くはないのです。何故日本の義務教育では、このことを教えないのだろうか。

さて、読んでみて、第9条第2項に至って、わたしは驚倒しました。

そこには、次のように書いてあったのです。

The right of belligerency of the state will not be recognized.

このstateは小文字で書かれていて、大文字のStateではない。

大文字ならば、わが国はと訳すことの正しい、日本国を意味しますが、小文字では、一般的な近代国家の国家という意味になる。

そうして、一般的な国家が交戦権を放棄するなどという一文が憲法の中に入っているのは誠に変である。

そうか、これが戦後の虚妄であったかと、ここに至って、わたしは豁然として目の前が開ける思いがしました。

この小文字のthe stateを、いかにもそれがthe Stateであるかのように偽装して(戦後の鵺(ぬえ)のような得たいの知れない全ての何々モドキ、あらゆるカルト、あらゆる偽者と偽物は、このときに始まったのです)、我が国が交戦権を放棄したかのごとくに国民の理解を誤らせた当の翻訳に携わったその男(多分男だ)を、わたしは八つ裂きにし、串刺しにして、炭火で焼いて、カラスの餌にしたい思いである。

その次には、この受身の一文を付け加えて書いた、その当の白人、アメリカ人をも同様の刑に処するものである。

この第9条第2項の第2の文を書いたアメリカ人も、さすがに相当疚(やま)しい気持ちがあったのだと思う。それはそうだろう。

そのこころの疚しさが、この文を受身の文にしたのだと、わたしは理解しています。主語を立てて、能動文にしたら、これが日本国憲法である以上、明らかに主語は、The Stateとなる筈だからです。受身にして小文字でthe stateとしたところが、その心根が卑しい。

この卑しさが戦後の日本人の卑しさだと思う。それが、どんなに知的な仮面を被っていようとも。それは知的なのではなく、誠に痴的である。

日本人よ、英語を勉強しよう。この英語を読む限り、日本は今すぐにでも核武装をすることも全然問題ないのである。日本国憲法は、我が国、the Stateの交戦権については何事も書いていない。

2011311日の天災は、この虚妄を崩壊せしめたのです。

わたしは、日本人が日本語で自分で筆を執って、日本国憲法を書くがいいと思っています。

その理由は、言葉の人間として思うのは、日本人が日本語の文法を明確にしなければ、真に日本語の憲法を起草することができないからです。

日本人が日本語という個別言語の文法を思い出すということは素晴らしいことです。

これをこそ、わたくしは革命と呼ぶでありましょう。


追伸:

上の英語原文の第9条第2項第2の文の日本語を、次のように訳した馬鹿者がいるのだ。哀れ、愚かな日本国民よ。

国の交戦権は、これを認めない。



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