2012年8月9日木曜日

安部公房の都市(苅部 直著。講談社)を読んで



安部公房の都市(苅部 直著。講談社)という本を読みました。

この本は、1960年代の日本の経済の俗称高度経済成長の時代の東京という都市に焦点を当てて、その都市の姿がどう安部公房の小説に姿を現しているかということを考察した本です。

従い、個々の作品について、安部公房という人間についての深い理解を得るということのできる本ではありませんが、しかし、断片的にではありますが、安部公房の思考、志向、嗜好について、上の視点から、色々な小説からの引用をして、他の資料と事実との関係でその引用について言及し、考察していて、そういう意味では、何かこう、都市という視点からそれらのシコウが拾い集められていて、面白くないことはない本でした。つまり、安部公房の作品についての、独立した徹底的な作品論ではないということです。

しかし、その中でも、興味をひいたのは、真善美社版の終わりし道の標べにが、後年の版とは随分と違うところがあるという言及でした。

今週末から、わたしは夏休みに入りますが、北海道に帰省中に、安部公房全集の第1巻を持参して、涼しい空間の中で、真善美社版を読んでみたいと思います。

わたしの故郷は、安部公房が榎本武揚で書いている道東の根釧原野なのですが、そういえば、そうだったなあということを改めて、安部公房の都市という本で思い出した次第です。

榎本武揚の配下の武士300名が、入っていって姿を消した原野が根釧原野です。

榎本武明の語り手に手紙を書いた人物の住まう厚岸(あっけし)という漁港は、わたしの生まれた町、釧路の隣町で、今回もきっと訪れることでしょう。厚岸へ行くというのは、今は自動車で40分か50分の近い距離(50キロ位)ですが、子供のころは、早朝に旅の支度をして、汽車にのってトコトコと行き、またその日の夜に帰ってくるという一日がかりの大仕事でした。

真善美社版を読んで知ったことを、またこの散文楽にまとめたいと思います。

それは、真善美社版と後年の版の比較をして、その差異について考量するということになりますが、真善美社版の方が、10代に書いた詩文と散文の理論篇と実践篇に近い位置にある分だけ、一層生々しい少年安部公房がいるのではないかと思い、今から楽しみなことです。

終わりし道の標べにを故郷に帰って読むというのは、考えてみれば、実にアイロニカルで、いいと思います。

同時に、埴谷雄高の死霊(全一巻)も持参するつもりです。

では、あなたも、よい夏休みをお過ごし下さい。できれば、安部公房とともに。

追伸:
一体安部公房の好きなファンを何と呼ぶのだろうと、この数日考えています。

Sherlock Holmsならば、Sherlockian、シャーロッキアン、Lewis Carrollならば、Carrollian、キャロリアンといいますが、母音で終わるKoboの熱狂的なファンを何と呼ぶのか。

フェイスブックを通じて知己のドイツ人に訊いたところ、ドイツ語ではどうやらKobianer、コービアーナーということになるということがわかりました。英語ならば何というのか。Koborian、コーボーリアンというのかと思っていますが、さて、どうでしょうか。








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