2012年7月29日日曜日

飢餓同盟(安部公房)を読む

恐らく、30年振りで、安部公房の飢餓同盟を読んだ。

その間、わたしも社会人としての経験を積んだので、これが確かに夢物語だということが解る。

主人公の花井という人物のひとの良さ、世間知らずは、結末を既に最初から暗示しているのだろう。

しかし、夢物語には、夢物語の現実感、現実、realityがあるのだ。そうして、この物語には、それがある。

この小説は、1954年の初刊であるが、今読んでも少しも古くない。それは、安部公房が、時代に寄りかかって書かなかったということを証明している。

ところどころに、後年の小説のイメージを思わせる文章に遭遇するが、このとき作者はまだ、それを表に出してはいないのだと思われる。

花井という主人公の思弁や会話は、しかし、既に砂の女を始めとする安部公房の主人公達の思弁であり会話である。

既に、その種は、10代の散文に十分に播かれていたことは、既に「18歳の安部公房」(http://sanbunraku.blogspot.jp/2012/07/blog-post_4111.html)、それから「19歳、20歳の安部公房」(1から4。http://sanbunraku.blogspot.jp/2012/07/1920.html)で考察し、論じた通りである。



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