2016年10月20日木曜日

村上春樹と映画「日本一の無責任男」に源氏鶏太のサラリーマン小説

村上春樹と映画「日本一の無責任男」に源氏鶏太のサラリーマン小説

村上春樹の小説の世界は、本人が「職業としての小説家」で述べてゐるやうに、引き算の文学(といふことは足し算の文学といっても同じ)です。

といふことは、外延(extensive)の世界ですから、類似のものが、そこゐらに日常生活の中に、その主題も動機(モチーフ)も、ゴロゴロと石ころのやうに落ちてゐるといふことになります。その姿のままにある。これが、掛け算の文学である安部公房や三島由紀夫と全く正反対の性格を持った文学といふことになってゐる数学論理的な、ある日は哲学的な方面からの説明による比較論です。掛け算といふのは、これらの科学の言葉でいへば、内包(intensive)といふことです。

さて、このやうに考へた上で、どうも村上春樹の世界は何かににてゐる何かに似てゐると思ひながら、思ってゐたことに、今朝思ひ当たりましたので、お伝へしたいと思ひます。それは、映画ならば1960年代の日本の高度経済成長の時代のクレージキャッツで植木等主演の「日本一の無責任男」のシリーズの主人公、平均(たいらひと氏)と、もう一つは源氏鶏太といふ小説家の書いたサラリーマン小説群です。

後者の直木賞受賞作の題名は「英語屋」(何と村上春樹らしい!)、前者の主人公は、文字通りに「日本一の無責任男」で、あのプラスの狂気といってよい正のエネルギーの放たれた地上の太陽の光を燦々と浴びた世界は、村上春樹のマイナスの狂気といってよい負のエネルギー、地下世界を描くことに没頭する暗黒の夜の世界のエネルギーに対応してをります。

さうして見ると、村上春樹は処女作「風の歌を聴け」の最後に引いたドイツの哲学者ニーチェの一行「昼の光に、夜の闇の深さがわかるものか。」は、やはり意義深いものがあります。例え、その哲学的な一行が、小説のためのネクタイや耳飾り程度のものであったにせよ。「1973のピンボール」には数回同じドイツの哲学者カントの「純粋理性批判」がやはり名前だけ(中身の論理ではなく)引用されてゐます。この二つの差異は、前者が深刻な印象をあたへるのに対して、後者は申し上げた通り、文字通りにネクタイや耳飾り程度になってゐるといふことです。この差は大きいと、私は思ひます。

そのあと封印した地下世界の実質第3作をかき、地上世界の第3作「世界の終わりとハード・ボイルドワンダーランド」を書いた。

しかし、それでも尚、村上春樹らしいのは、今前者のニーチェの格言をドイツ語の世界で調べて見ると、このやうな一行はありませんでしたので、これもまた村上春樹の創作なのです。それらしい、とてもよく似た文章は出てきますが、それそのものはありません。つまり、これは贋の引用なのです。

しかし、かうしてみれば、処女作の「ハートフィールド、再び......(あとがきにかえて)」で、再度デレク・ハートフィールドといふ架空のアメリカの小説家の「記事の引用がマックリュア氏の労作、「不妊の星々の伝説」からいくつか引用させていただい」とあっても、このマックリュア氏といふ作者と其の記事そのものが偽物であり、そこからの引用がまた偽の引用であるのと同じです。

確かに「職業としての小説家」の中で述べてゐるやうに、小説家は詐欺師なのです。引用元が偽物で、偽の小説を書く作家、これが村上春樹だといふことになります。いや、その作品は世界中に流通してをりますから、骨董の世界と同様に、偽ではなく、贋といふ文字を当てるべきでありませう。この文字に於いて、村上春樹は、安部公房と三島由紀夫の世界と其の意識を共有してをります。「豊饒の海」全4巻に繰り返し、贋の文字は出てきますし、安部公房の世界についてはいふまでもありません。この文字の使用を巡って、二人は議論をした形跡が、作品発表の時間的な流れの中で、偽か贋かの文字の使用の変遷を調べますと、ありますから。

面白いことは、源氏鶏太の本は絶版になってゐるにもかかわらず、古本の世界では高い値段がついてゐることです。日本人は、この作家を求めてゐるのです。この作家もまた、村上春樹が「職業としての小説家」の中で述べてゐるやうな「「純文学」装置」を備えた作家ではないやうです。といふことは通俗小説の作家といふことですから、この点では、源氏鶏太は村上春樹と同じです。

村上春樹の小説の世界は、姿を変へた(低成長時代の)サラリーマン小説なのです。私は、さう思ひます。

まあ、しばらく源氏鶏太の世界に遊ぶことにします。相当に面白い小説群ではないかと思ひます。

もっと言へば、かうして考へて来て、私は村上春樹を主人公にしたサラリーマン小説の構想が、私の頭の中に、出来ました。ハルキストは怒るだらうか。このときの私の筆名は、平家卵斎といふのです。この主人公はある意味大変に否定的に出世をして、個室を与へられて、その部屋の壁板や(Macの置いてある)机や家具は皆、ノルウエー産の木材でできてゐるのです。さて、この小説の主人公である村上春樹の名前はなんといふか。ハルキストは怒るだらうから(でも、村上春樹に反対の誠に哲学的な名前であるのですが)、マル秘にします。

ここまで来ると、私には、村上春樹と安部公房の「二十一世紀の文学」といふ対談や(その最初の村上春樹のセリフまでもう決まってゐる)、村上春樹と三島由紀夫共著の「不道徳講座」とか「老いたる団塊世代のサムライのために」とか、まあ色々な作品を書くことができるのですが、これは間違ひなく、今の日本の目に見えない検閲制度に引っかかりますので、地下世界で、undergroundで、村上春樹や安部公房らしく、出版することにしますので、地上世界に生きるあなたの目に触れることは決してないのです。

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