2012年9月5日水曜日

ひとは何故言葉で書き留めるのか?




ひとは何故言葉で書き留めるのか?


わたしたちは、日常で膨大な言葉を消費し、また流通させている。そうして、膨大な量の言葉、言葉使い、言ったことごとを即座に忘れる。言った片端から忘れる。読んだ片端から忘れる。聞いた片端から忘れる。

他方、文学という世界があり、そこには古典があって、繰り返し読まれている。

ふと、今気がついたのだが、学ぼうというこころのあるときのみ、ひとは言葉を大切にとっておくのではないだろうか。後日の再読や、参照のために。読み返すために。そうして、それが記憶の中であれ、備忘として文字で書き留めるのであれ、その形態を問わずに。

それでは、書くということ、文字で何かを書くという行為は、学ぶこころに発したものだろうか?と、こう考えてみる。

そうすると、その答えは、やはり、そうだ、文字で何かを書くということは、学ぶということなのだ。そうして、何かを知るということなのだ。それは、忘れまいという意志であり、思い出すという行為である。それが、詩文であれ、散文であれ。

こうして書いていて、わたしは、そうして、わたしが、そのことを知るのである。


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